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松倉 義明(まつくら よしあき、、1971年7月22日 - )は、日本の元プロボクサー。北海道伊達市出身。第20代日本ジュニアバンタム級王者。現役時代は宮田ボクシングジム所属。「野獣」をキャッチフレーズとするハードヒッターで〔「日本チャンピオン&ランキングボクサー名鑑 - J・バンタム級」、135頁。この後の3年間、『ワールド・ボクシング』4月号増刊の「日本チャンピオン&ランキングボクサー名鑑」では「“倒し屋”復活の兆し十分(1999年)」「精神面の復活が待たれる(2000年)」「最近の試合は思い切りを欠く(2001年)」と評された。〕、独自のタイミングで放つ強烈な左ストレートを得意とした〔ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日 ISBN 4-583-03784-8、197頁。〕 〔「松倉義明VS名護明彦 展望 - プロのケンカ屋と元アマのエリート対決 勝者が世界王者・飯田への挑戦者候補に」、32-33頁。〕。 ==来歴== 1991年12月11日、プロデビュー戦は初回KO負けとなった。1993年5月6日のプロ2戦目から5連勝 (4KO) 後の12月18日、第50回東日本ジュニアバンタム級新人王トーナメント決勝戦で清田芳正(松戸平沼)に判定負けを喫した。翌1994年10月21日、秋田勝弘(協栄)を5RKOで下し、B級トーナメントジュニアバンタム級に優勝を収めた。1997年2月10日、マリオ・アノース(フィリピン)との53.0kg契約10回戦に初回KO勝利を収めた。松倉がメインを務めたこの興行では、8R判定引分に終わった平沼浩幸(松戸平沼)が試合でのダメージにより2週間後に死亡する事故があった〔「'97年プロボクシング──パーフェクト・データ - 国内全試合結果/『ワールド・ボクシング』97年3月号〜98年2月号まで完全縮小版」、156頁。〕〔「ボクシング百科全書 - リング禍」『日本ボクシング年鑑2005』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション/日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2005年4月30日 ISBN 4-583-03849-6、188頁。〕。 1997年10月13日、守部厚希(江坂)の王座返上にともなう日本ジュニアバンタム級王座決定戦で、過去に1戦1勝している大雅アキラ(協栄)に7RKO勝利を収めて王座を獲得し、11戦連続KO勝利を含む12連勝となった。大雅はこの6日後に頭蓋内出血により死去した〔〔〔芦沢清一「スタンディングカウントの廃止と前日計量について」、81頁。〕(リング禍)。1997年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で新鋭賞に選出されたが、翌1998年3月9日、当初は王座決定戦で対戦予定だった〔名護明彦(白井・具志堅)を迎えてのサウスポー同士の初防衛戦に9RKO負けを喫し、王座を失った。この後3連勝 (2KO) を収めた。 1999年6月12日、日本スーパーフライ級〔日本ボクシングコミッションでは1998年5月1日に階級の名称を変更し、ジュニアバンタム級はスーパーフライ級となった。〕王座決定戦で柳光和博(ワタナベ)に4RTKO負けを喫した。この後、元WBC世界ストロー級王者ナパ・キャットワンチャイに対するKO勝利を含め、3連勝 (2KO) を収めた。2001年4月30日、村越裕昭(三津山)の負傷欠場により試合3週間前に出場が決まった日本スーパーフライ級王座決定戦で、木谷卓也(金子)に5RKO負けを喫し、その場で「思い残すことはない。完全燃焼した」と現役引退を表明した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松倉義明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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