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松前山 武士(まつまえやま たけし、本名:渡辺 貞夫(わたなべ さだお)、1940年6月29日 - )は、北海道松前郡松前町出身で、出羽海部屋(のち九重部屋)に所属した大相撲力士。最高位は東前頭9枚目(1965年5月場所)。現役当時の体格は173cm、94kg。得意手は左四つ、ハズ押し、寄り、投げ。 == 来歴・人物 == 中学校卒業後は漁業に従事していたが、帰省した時に村相撲で活躍し、千代の山(横綱。引退後、年寄・九重を襲名)の入門を世話した地元の中学校校長・若狭龍太郎から角界入りを勧められた。その後上京し、1957年11月に出羽海部屋へ入門。入門後すぐ、彼が漁師時代に乗っていた漁船・久栄丸が転覆する海難事故があって乗組員全員が死亡しており、力士になったため命拾いしたともいえる。また、この事もあり、「絶対に関取になる」と誓った。四股名の「松前山」は、郷里である松前郡松前町に因んだものである。 体が小さく苦労したが順調に出世し、1963年5月場所で新十両昇進。そして、1964年7月場所にて新入幕を果たした。同場所では6勝9敗と負け越して1場所で十両に逆戻りしたが再入幕した1965年3月場所では8勝7敗と勝ち越し、翌場所では東前頭9枚目に進み、手取り力士として期待された。 しかし、3月場所前後から体調が優れず、病院で診察して貰ったところ肺結核と診断された。その治療のため、5月場所から6場所連続で休場し、再び土俵に復帰した翌年5月場所では三段目29枚目まで番付を落としていた。復活後は再度上昇し、1967年3月場所で十両に復帰。この場所より、元千代の山の九重親方が出羽海部屋から独立した事に伴って北の冨士や禊鳳らとともに九重部屋に移り、同場所では好調を維持して12勝3敗という好成績で十両優勝を遂げた。一方、幕内では兄弟子の大関・北の冨士が14勝1敗で初優勝を果たし、九重部屋誕生の場所でのダブル優勝に師匠の九重は涙が止まらなかった。 その後幕内復帰を目指したが叶わず、再び幕下に落ちた同年11月場所を以って、27歳の若さで引退。 引退後は年寄・尾上を襲名したが、1968年11月場所後に廃業した。 現在は東京都新宿区歌舞伎町で、ふぐ料理・ちゃんこ料理の店を経営している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松前山武士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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