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松原 靖(まつばら やすし、1964年11月16日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)である。 ==来歴・人物== テスト生としてドラフト外で読売ジャイアンツ入団、高校時代は県大会で、東農大二高の阿井英二郎と投げ合った本格左腕で、140キロの速球が武器だった。巨人の新人テストでただ一人合格。1987年は1A・マイアミ・マーリンズに野球留学する。須藤豊二軍監督の下「信用金庫」の愛称で呼ばれながら力をつけ、一軍昇格を果たす(入団前の職業は高崎信用金庫の職員だったことによる)。 1988年に初めて一軍に昇格し、5月26日の対大洋戦で中継ぎで初登板するも1/3回を4失点、続く6月2日の登板ではアウトを取れず2失点と2試合連続で打ち込まれて二軍落ちした。この時点で防御率は162.00となり話題になった。一軍再昇格後にいきなり9月18日の対大洋戦で初先発として抜擢されると、9回2死まで1失点の好投で初勝利をあげ、貴重な左腕として周囲の期待も高まった。また、王貞治監督の巨人最後の采配となった同年10月4日の対大洋戦で先発をして勝利投手となっている。 しかし、以後は周囲の期待に沿える成績が残せず、1991年オフ岡田展和との交換トレードで西武ライオンズへ移籍。1992年限りで引退。 ==プレースタイル== 140km/h前後の直球、カーブ、シンカーを武器としていた。〔1988年ジュニア日本選手権 巨人対中日 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松原靖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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