翻訳と辞書
Words near each other
・ 松尾志織
・ 松尾恒一
・ 松尾恵子
・ 松尾憲造
・ 松尾政寿
・ 松尾政治
・ 松尾敏伸
・ 松尾敏男
・ 松尾敬吾
・ 松尾敬宇
松尾文人
・ 松尾文夫
・ 松尾新吾
・ 松尾早人
・ 松尾昂明
・ 松尾昇悟
・ 松尾明子
・ 松尾明美
・ 松尾昭一
・ 松尾昭典


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松尾文人 : ミニ英和和英辞書
松尾文人[まつお ふみんど]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文人 : [ぶんじん]
 【名詞】 1. person of letters 2. literary person
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

松尾文人 : ウィキペディア日本語版
松尾文人[まつお ふみんど]

松尾 文人(まつお ふみんど、1916年8月6日 - 没年不明)は、日本の俳優神奈川県横浜市出身。本名同じ。
4歳から新派の舞台に上がり子役として歩み始め、京都のマキノ・プロダクションでスター子役となり、東京・巣鴨の河合映画製作社でも主役を張った。15歳を過ぎてからはバイプレイヤーに徹した。後年は東宝特撮円谷特撮作品で知られる。
== 来歴・人物 ==

=== マキノのスター子役 ===
1916年(大正5年)8月6日横浜市南太田町東耕地(現在の同市南区南太田)に、新派俳優の父・松尾二郎、母・カズの子として生まれる。1920年(大正9年)、4歳で初舞台を踏む〔『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社、1979年)の「松尾文人」の項(p.534)を参照。同項執筆は滝沢一。〕。
1922年(大正11年)、6歳のときに国際活映巣鴨撮影所で、田村宇一郎監督の『噫新高』に出演し、また1923年(大正12年)には、7歳のときに高松豊次郎指揮、岩岡巽撮影による教育映画『史劇 和気清麿公』(プリント現存〔東京国立近代美術館フィルムセンターの「所蔵映画フィルム検索システム 」を参照。〕)に出演している〔。
1924年(大正13年)5月、8歳を目前に東亜キネマ甲陽撮影所に入社、同社の親会社の八千代生命の宣伝映画『求むる父』で本格的なデビューを果たす〔。同年7月、同社がマキノ映画製作所を吸収合併し、甲陽撮影所長を牧野省三が兼務、その後の作品として、松尾が「流しの女の子」役の都賀静子とともに「流しの男の子」役で出演した本山裕児監督の『熱血の洗礼』が同月末に公開された。翌1925年(大正14年)2月25日公開の曾根純三の監督デビュー作『おもちゃ屋の小僧』で、松尾も初主演を果たしている〔。
同年6月に牧野省三が東亜キネマから独立、マキノ・プロダクションを発足すると、松尾も同社の御室撮影所に移籍した。同年、同じく移籍した曾根純三監督の『寺小屋騒動』に主演の中村賞三郎の息子役で出演したあと、翌1926年(大正15年)には、『豆本太閤記』をはじめとして、曾根純三監督作品に6本連続で主演した。チャーリー・チャップリンの『キッド』(1921年)に影響を受けた『活動狂時代』では、柳妻麗三郎が「チャップリンに似た男」を演じている。三島章道社会教育映画研究所で製作した『平和の勇士』では、のちにマキノ潔となる井上潔、のちに映画監督滝沢英輔となる滝沢憲と共演している。
1927年(昭和2年)4月に嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)が同社に入社、入社第1作・嵐の映画デビュー作の『鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子』では杉作を演じ、絶賛される。また同年の片岡千恵蔵入社第1作・片岡の本格デビュー作『万花地獄』全4篇、翌1928年(昭和3年)のマキノ梅太郎主演作『ひよどり草紙』全5篇にも共演している〔。
1928年6月に曾根純三が河合映画製作社に引き抜かれると、まだ11歳の松尾も、東京の同社巣鴨撮影所へ移籍した。入社第1作は曾根監督による松尾の主演作『面妖舞台裏』で、同作をはじめとして、1929年(昭和4年)の高見貞衛監督の『そば屋の小僧』や『四人孤児』、小沢得二監督の『血の曲芸団』、1930年(昭和5年)の森田京三郎監督の『地下室事件』などに主演した。同年春、巣鴨町立仰高尋常小学校(現在の豊島区立仰高小学校)を卒業、神田の正則英語学校(現在の正則学園高等学校)に入学するが、同年10月に中退した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松尾文人」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.