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松山 勘十郎(まつやま かんじゅうろう、1984年4月13日〔 - )は、日本のJr.ヘビー級の男子プロレスラー。新潟県南蒲原郡田上町出身〔。公称身長163cm、体重85kg。ニックネームは千両役者。 菊タロー、ストーカー市川とともに、「お笑いプロレス」のトップ3と言われる〔「レスラーヒューマンストーリー第193回 松山勘十郎」、『週刊プロレス』No.1738、平成26年5月21日号(5月8日発行)、71-74頁、2014年。〕。 == 来歴 == 子供の頃からプロレスファンで、新潟での興行に足繁く運び、みちのくプロレスのザ・グレート・サスケに質問コーナーでトレーニングに関する質問をしたこともある。 プロレスラーになるのが夢で、三条工業高校時代はレスリング部に所属するも、 運動経験がゼロだったこともあり、実力は低かった〔。 体力も技術もなかったが、高校卒業のタイミングに合わせて闘龍門13期生募集に応募し、書類審査でパスした〔。闘龍門を選んだ理由は、体格を問わないこと、体力テストがないこと、そして校長であるウルティモ・ドラゴンの存在だった〔。神戸の道場で半年間練習後、ナウカルパンの闘龍門MEXICO道場で修業を積む〔。「歌舞伎役者に顔が似ている」と勘十郎のリングネームを校長からもらい、5か月後の2004年5月16日、アレナ・コリセオでの自主興行で同期の大原はじめを相手にデビューし、勝利を収める〔。その後もメキシコで試合を続け、タッグ王座のローカルタイトルを獲得し、「ドラゴマニア」等にも出場した〔。 が、実際に覆面レスラーとしてリングでファイトした事実はない。当時、プライベートマスクを使用していた事があり、それを見て覆面レスラーだと勘違いしたという説が有力である。 2006年4月14日に日本に凱旋し、後楽園ホール大会で鈴木健想とタッグを組んでいる〔。みちのくプロレスの「みちのく二人旅」にザ・グレート・サスケのパートナーとして出場〔。そのまま準レギュラーとして出場し、男盛との抗争でお笑いプロレス街道を邁進する〔。2006年11月4日、大阪プロレスに初参戦し、2008年から所属レスラーとなった〔。 2014年4月20日をもって大阪プロレスを退団〔。個人事務所所属として客演や座長公演の開催をメインに活動していく方針を明らかにしている(本人はフリーという表現は使っていない)。また事務所主宰の興行を行う予定で自身の目標として、同期でもあるオカダ・カズチカ(新日本プロレス)とシングルを行うことだと言う。オカダ・カズチカとは闘龍門時代にメキシコの名前も知らないような小さい町で対戦したことがあるが、試合内容も勝敗も覚えていないという〔。 2014年9月14日故郷の田上町で自主興行を開催。メインで6人タッグマッチに登場し師匠ウルティモ・ドラゴンと女子プロレスラーアジャ・コングとのタッグで松山かずのすけ&ビリーケン・キッド&豊田真奈美と対戦が決定。 また2015年には団体として大衆プロレス松山座を旗揚げ。一座の松山みゆき、松山かずのすけ、松山忠之輔、華名姫とブルアーマーリングサービスとの2団体所属選手になるめぃりぃなど5人の所属が決定。しかし一座の人間は現世のレスラーの体を借りて活動をしているため、現世の4人のレスラーの活動は今までと同じままである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松山勘十郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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