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松山城風流合戦(まつやまじょうふうりゅうがっせん)は、天文6年(1537年)に武蔵国松山城の争奪をめぐって扇谷上杉氏と後北条氏の間に生起した合戦。狭義には、合戦の最中に双方の部将である難波田憲重と山中主膳の間で交わされた和歌問答を指す。 == 合戦の経過 == 天文6年(1537年)、扇谷上杉氏の当主である上杉朝興が没すると、13歳の朝定が同氏の当主となった。かねて武蔵国中央部への進出を画策していた北条氏綱はこの機に乗じて7千余の部隊で小田原城を出陣、河越城の攻略に成功した。一方、父朝興の遺言である河越城の死守を果たせなかった朝定は、重臣難波田憲重の居城である松山城まで後退して体制を立て直し、余勢を駆って城下まで攻め寄せた北条勢を迎撃した。難波田らの奮戦の結果撃退に成功したが、この際に行なわれたとされる和歌問答が風流合戦として著名である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松山城風流合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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