翻訳と辞書
Words near each other
・ 松山東高校
・ 松山東高等学校
・ 松山桃子
・ 松山棟庵
・ 松山機場
・ 松山機場駅
・ 松山正治
・ 松山正清
・ 松山正男
・ 松山歴史文化道
松山氏
・ 松山泰男
・ 松山洋
・ 松山海軍航空隊
・ 松山深蔵
・ 松山清子
・ 松山済生堂
・ 松山温泉
・ 松山温泉 (山形県)
・ 松山港


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松山氏 : ミニ英和和英辞書
松山氏[まつやまし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

松山氏 : ウィキペディア日本語版
松山氏[まつやまし]

松山氏(まつやまし)は北近江の在地豪族国人本姓源氏家系清和源氏の一家系 河内源氏の流れを汲み、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の庶流にあたり、近江佐竹氏・佐竹松山氏とも称される。
== 概略 ==
佐竹氏四世佐竹義重の子貞義常陸国多珂郡松山郷(現在の茨城県日立市)を領したことにより松山氏を称した。三世の孫貞綱が、承久の乱に於ける武功により近江国浅井郡内に領土をもらい受けたのを機に近江に移住して、以後北近江に土着していくことになる。室町時代になると京極氏被官となり、全盛期には、一門で浅井・坂田余呉郡内から八千貫を領する大身となる。しかし京極氏の没落、浅井氏の台頭、一門の雄桜井朝光織田信長により改易などで、勢力は激減していった。江戸時代に入ると、徳川氏により、浅井郡内一千石が安堵され、郷士(在郷給人)として家名存続が許された。徳川三代将軍家光の治世に入ると三千石加増され、備前守に任官して、将軍代替わりに際してのお目見えが許され、参勤交代が義務づけられた。以後松山宗家は代々備前守に任官された。さらに四代徳川家綱の治世に五百石、五代徳川綱吉の治世に一千石(内四百石は下総国香取郡より加増、後に下総領は一門の重鎮井江田松山氏が相続して本家より独立)八代徳川吉宗の治世に五百石(武蔵国足立郡内)と加増され、合計五千五百石となり、一門の所領を合せると一万石にも達する大封を得るに至り、代々一門で彦根藩代官・加賀藩代官・仙台藩代官を兼任した。分家では、彦根藩士、加賀藩士、大庄屋となったものもいる。子孫は滋賀県彦根市の寺院の住職家として健在である。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松山氏」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.