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松山海軍航空隊 : ミニ英和和英辞書
松山海軍航空隊[まつやまかいぐんこうくうたい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山海 : [さんかい]
 (n) mountains and seas
海軍 : [かいぐん]
 【名詞】navy, Navy
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 
航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
航空隊 : [こうくうたい]
 (n) flying corps
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps

松山海軍航空隊 : ウィキペディア日本語版
松山海軍航空隊[まつやまかいぐんこうくうたい]

松山海軍航空隊(まつやまかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。松山といえば、源田実司令率いる第三四三海軍航空隊の印象が強いが、北側の予科練「松山海軍航空隊」と南側の飛行場である「松山海軍航空基地」は完全に別個の施設で、しばしば誤って混同されている事が多い。なお、本稿では松山空の分遣隊として開かれた宇和島海軍航空隊(うわじまかいぐんこうくうたい)についても述べたい。
==沿革==
 海軍は航空戦力の急速な拡大を図るため、予科練12期より定数を急増した。昭和18年に募集した甲種第13期は、前後期合わせて20000人を超えた。旧来の土浦海軍航空隊三重海軍航空隊鹿児島海軍航空隊だけでは収容が不可能であった。そこで、新たな予科練航空隊を併設することとした。
 松山海軍航空隊は、当時の愛媛県温泉郡生石村大字北吉田に設置された。松山空への入隊者は下記のとおりである。
 教育は入隊後、約一カ月で一等飛行兵、約二カ月の基礎教育で第一学年を修了して、適正検査によって操縦員と偵察員に分けられ、新たに分隊編成を行われ、入隊三カ月後に上等飛行兵に進級をして第二学年に入るようになっていた。
 しかし、予科練入隊者の急増によって教育は予定通りには進まなかった。松山空では甲飛13期前期、後期入隊者は早くに飛行練習生となったが、甲飛14期前期入隊者からは飛行練習生になる事はできず、いたずらに予科練航空隊に留まらなくてはならなかった。
 昭和20年3月1日付で、松山空は宇和島空、浦戸空、倉敷空と第21連合航空隊を編成して、同隊の司令部が松山空に置かれた。これと同時に、戦備作業が開始された。課業の一部が変更され、隣接する松山基地での機体運搬作業や松根油の製造、防空壕構築、兵舎の撤去作業が行われた。四月からは西条基地や観音寺基地にも練習生を派遣している。
 昭和20年5月4日午前8時すぎ、グァム北飛行場を発進した第314航空団のB29爆撃機17機の空襲を受け、69名の戦死者(正確な戦死者は不明)を出した。すぐに練習生の疎開が行われ、練習生は松山市内の国民学校、中等学校、高等学校などに分散疎開された。

*昭和18年10月1日 開隊。第19連合航空隊に編入。第19連合航空隊に編入。甲飛第13期前期の一部入隊(19年5月卒業)
*昭和18年12月1日 甲飛第13期後期の一部入隊(19年7月卒業)
*昭和19年3月15日 宇和島分遣隊発足。
*昭和19年4月1日 甲飛第14期前期の一部入隊(20年3月卒業)
*昭和19年6月1日 甲飛第14期後期の一部入隊(卒業なし)
*昭和19年9月1日 卒業生の飛行練習課程凍結。
*昭和19年9月15日 甲飛第15期前期の一部入隊。
*昭和19年11月1日 甲飛第14期の一部、浦戸海軍航空隊へ転出。
*昭和19年12月1日 乙飛第24期の一部入隊(最後の乙飛)
*昭和20年3月1日 19連空解散。横須賀鎮守府隷下第20連合航空隊に転籍。宇和島分遣隊、独立して宇和島海軍航空隊発足。
*昭和20年4月1日 甲飛第16期の一部入隊。
*昭和20年6月1日 予科練教育凍結。
*昭和20年7月15日 解隊

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松山海軍航空隊」の詳細全文を読む




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