翻訳と辞書
Words near each other
・ 松山短期大学
・ 松山研一
・ 松山祐三
・ 松山祐士
・ 松山神社
・ 松山神社 (大阪市)
・ 松山神社 (松山市)
・ 松山秀明
・ 松山空港
・ 松山空港ビル
松山竜平
・ 松山競輪場
・ 松山第一小学校
・ 松山第二小学校
・ 松山簡易裁判所
・ 松山紗夕
・ 松山組
・ 松山維新の会
・ 松山総合公園
・ 松山線


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松山竜平 : ミニ英和和英辞書
松山竜平[まつやま りゅうへい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [りゅう]
 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

松山竜平 : ウィキペディア日本語版
松山竜平[まつやま りゅうへい]

松山 竜平(まつやま りゅうへい、1985年9月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手外野手内野手)。背番号44
== 経歴 ==
鹿児島県大崎町出身。大崎小学校3年生の時にソフトボールを始め、6年生で全国大会優勝。ソフトボールスポーツ少年団の監督の勧めで左打ちに転向した。その監督が福留孝介を育てた新留勝郎監督である。当時松山は捕手を務めており、同チームの1学年下には榎田大樹が在籍していた。大崎中学校時代は、ボーイズリーグの「鹿屋ビッグベアーズ」に所属し、鹿屋中央高校では1年生からエースで4番だった(甲子園には出場していない)。高校時代は猛練習が実を結び、3年時春には100mだった遠投が夏には123mにまで伸ばし、苦手だった50m走の記録も春の6秒5から夏には6秒まで伸ばしている。九州国際大に進学し、1年春から出場。6月の全日本大学野球選手権大会では、2回戦に早大斎藤佑樹から二塁打を放ち注目された。4年間で首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回に輝き、通算安打は122本で、九州六大学リーグの新記録を作る。大学通算打率.412、通算三振数は18(1試合平均0.24個)。福岡大白仁田寛和投手とは、九州六大学野球のライバルであった。2007年11月19日のプロ野球大学生・社会人ドラフト会議広島東洋カープに4巡目で指名された。入団時の意気込みとして背番号37を永久欠番にしたいと語り、登録名に関しても活躍後に“竜平”に変更したいと語った。同年11月26日に契約金5000万円、年俸1000万円(推定)で仮契約。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松山竜平」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.