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松山 義雄(まつやま よしお、1903年(明治36年)3月 - 1958年(昭和33年)10月25日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(現職のまま死去した)、埼玉県副知事。長崎県諌早市出身。中央大学卒業。松永東は義父。正五位勲三等に叙せられた。 ==来歴・人物== 1938年、東京弁護士会常議員に就任。1941年、日本弁護士会理事に就任。1949年、大沢雄一の要請により、埼玉県副知事に就任。 その後中央政界への進出をもくろみ、1952年10月の第25回衆議院議員総選挙に自由党公認で埼玉2区から出馬し、初当選(当選同期に福田赳夫・大平正芳・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・植木庚子郎・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。以後、連続当選4回。法務委員、農林委員、地方行政委員、予算委員、裁判官訴追委員、弾劾裁判所裁判員、畑地農業改良促進対策審議会委員、米価審議会委員などの要職を歴任。1955年には衆議院運輸委員長に就任した。1956年衆議院から中南米へ派遣される。 また、埼玉県土地改良協会会長として農業振興に尽力。武蔵野線建設推進でも先頭に立って活動した。 1958年10月25日、現職のまま死去した。享年55。10月27日、衆議院本会議で平岡忠次郎により弔詞がよまれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松山義雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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