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立川 談志(たてかわ だんし)は、落語家の名跡。7代目(自称5代目)の死後は空き名跡となっている。 これは明治時代の寄席で人気を博していた釜掘りの談志(4代目)が初代を称し、俥屋の談志がそれに倣って4代目と称していたようなので、小ゑんは5代目というのは語呂が良く、さらに師匠5代目柳家小さんと代数が合うので丁度いいということで、5代目を名乗ることになった〔立川談志著 『現代落語論』より〕。 釜掘りの談志を初代と見なした場合、3代目になるはずの談志がなぜ4代目を称していたかというのは、本名恒川駒吉の談志と俥屋の談志の間にはもう一人談志がいたらしいため、その談志を代数に含めていたためではないかと思われる。 また、花咲爺の談志(3代目)を初代とみなしたから5代目となった、とも言われる。 ちなみに、4代目桂文之助が1916年に著した『古今落語系図一覧表』では、のちに宇治新口を名乗った談志が代数に入っておらず、花咲爺の談志が2代目、釜掘りの談志が3代目、本名恒川駒吉の談志が4代目となっている。 * 初代立川談志 - 後の2代目菅良助。 * 2代目立川談志 - のち初代三笑亭可楽の門下で宇治新口を名乗る。こちらの談志の方が初代だとする説もある。 * 3代目立川談志 - 「花咲爺の談志」。本名、三宅 岩太郎。 * 4代目立川談志 - 「釜掘りの談志」。江戸2代目桂才賀の門下。本名、中森 定吉。 * 5代目立川談志 - 後の柳家金太夫。本名、恒川 駒吉。 * 5代目と6代目の間にもう一人談志がおり、東西会に所属していたようであるが、詳細不明。 * 6代目立川談志 - 得意な演目から「反対俥の談志」「俥屋の談志」。性格の良さから「お結構の談志」。5代目三升家小勝の門下。本名、竹内 栄次郎。 * 7代目(自称5代目)については以下に記載。 ---- 7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、1936年〈昭和11年〉1月2日 - 2011年〈平成23年〉11月21日)は、東京府小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家。落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。。 古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語のみならず、講談、漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。初高座は新宿末廣亭における『浮世根問』。 自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。出囃子は「あの町この町」「木賊刈」(とくさがり)。5代目三遊亭圓楽、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝没後は8代目橘家圓蔵)と共に「江戸落語四天王」と呼ばれた。 参議院議員(1期)、沖縄開発庁政務次官(三木内閣において36日間)、サイバー大学客員教授などを歴任した。 == 来歴 == === 入門〜真打昇進 === 1936年1月2日、東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区白山)に生まれる。 1952年、東京中学卒業。先輩に安藤鶴夫、牧伸二がいる。同年4月、東京高校を中退後、16歳で5代目柳家小さんに入門。本名の「克由」の一字を取って、柳家小よしと名乗る。1954年3月、二つ目昇進し柳家小ゑんに改名。寄席のほかに日劇ミュージックホールや新宿松竹文化演芸場にも定期的に出演し、コントや漫談も披露。スタンダップコメディを演じる際には赤シャツにジーパン姿がトレードマークだった。 1962年、入門が5年遅い古今亭朝太(後の3代目古今亭志ん朝)が「36人抜き」で小ゑんよりも先に真打に昇進し、生涯最大の屈辱を味わう。1963年4月、立川談志を襲名し、真打に昇進。同時に小さん門下から5代目柳家つばめも真打に昇進した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立川談志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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