翻訳と辞書
Words near each other
・ 松岡健介
・ 松岡充
・ 松岡克由
・ 松岡利勝
・ 松岡利道
・ 松岡則方
・ 松岡剛
・ 松岡力
・ 松岡功
・ 松岡功 (実業家)
松岡功祐
・ 松岡千恵
・ 松岡千晶
・ 松岡卓
・ 松岡卓弥
・ 松岡博
・ 松岡博文
・ 松岡古墳群
・ 松岡史子
・ 松岡吉一


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松岡功祐 : ミニ英和和英辞書
松岡功祐[まつおか こうすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground

松岡功祐 : ウィキペディア日本語版
松岡功祐[まつおか こうすけ]

松岡 功祐(まつおか こうすけ、1943年2月9日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手内野手)。
天津ライオンズでコーチを務め、3年の任期をもって帰国。母校・明治大学野球部のコーチを経て、2015年より中日ドラゴンズ野手育成コーチ兼寮長に就任。
== 来歴・人物 ==
九州学院高校では1960年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、熊本商に敗退。明治大学へ進学。東京六大学リーグでは1961年春季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなかった。4年生になって頭角をあらわし、1964年秋季リーグでは法大長池徳二に次ぐ打率2位を記録、ベストナイン(遊撃手)に選出される。攻走守三拍子揃っており、すぐにでも使える選手との評判だった。社会人野球サッポロビールへと進み、1965年1966年都市対抗野球大会で活躍。1966年プロ野球ドラフト会議大洋ホエールズに1位指名され入団する。
1年目の1967年から遊撃手の定位置を獲得し123試合に出場、規定打席(24位、打率.244)にも達する。1969年までその地位を守るが、1970年には米田慶三郎が急成長、激しいポジション争いが続く。1975年には山下大輔がレギュラー遊撃手の座に就いたこともあり、1977年限りで引退
引退後は1979年に二軍守備・走塁コーチ、翌1980年から1989年まで一軍守備・走塁コーチを務め、その後は横浜のスカウトに就任。波留敏夫相川亮二木塚敦志などの獲得に携わる。
2007年、横浜が提携関係を結んでいる中国野球リーグ天津ライオンズの台湾キャンプにコーチとして派遣されたのをきっかけに、シーズンを通してベンチ入りするコーチとして就任している。
2011年、母校・明治大学硬式野球部のコーチに就任し、三回のリーグ優勝に貢献。荒木郁也島内宏明上本崇司を送り出している。
2015年より中日の育成コーチ兼選手寮「昇竜館」館長に就任する〔育成コーチ兼昇竜館館長に松岡功祐氏 - 中日ドラゴンズ公式サイト、2014年11月21日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松岡功祐」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.