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松岡 正海(まつおか まさみ、1984年7月18日 - )はJRA(日本中央競馬会)の騎手。美浦の前田禎厩舎所属でデビューし、2005年10月に同調教師が死去し厩舎解散になったあとは相沢郁厩舎に所属している。 == 来歴 == 2003年3月1日の中山競馬第12競走でプラチナウィンクに騎乗しデビュー(14着)。同年3月23日の中山競馬第12競走でデュエットシチーに騎乗し初勝利を挙げる。 デビュー年は11勝にとどまったが、2年目の2004年は28勝と勝利数が上昇。夏には北海道競馬に参戦し、函館競馬で初の特別競走勝ちを収めるなどの活躍をした。 その後2005年のダイヤモンドステークスでウイングランツに騎乗し重賞初制覇。美浦所属の2003年デビュー組のなかで一番乗りでの重賞初制覇であった(栗東所属も含めると、前年の長谷川浩大(福島記念優勝)に次いで2人目)。そしてこの年の桜花賞でGI初騎乗を果たすなど、グレード競走にも徐々に名を連ねるようになり、最終的に49勝をマークした。 2006年4月1日にはJRA通算100勝を挙げ、同年6月12日からはマイケル・キネーン騎手の紹介により、アイルランドの有力な調教師ジョン・オックス厩舎のもとで約3か月間の国外出張を行った。現地では騎乗は2レースのみ(6着、8着)だったが、馬の身の回りの世話や日本との違いなどを肌で感じ取った。松岡自身も、「この時の経験が、自分の競馬に対するスタンスを変えた」と語っている。このアイルランドでの修行を経て、2006年9月16日の中山競馬よりJRAのレースに騎乗を再開した。 日本復帰後はプリサイスマシーン、 マイネルレーニア、 サンツェッペリン、 アイルラヴァゲインと重賞勝ちを積み重ね、勝負強さを際立たせた。 2007年5月13日に12番人気のコイウタでヴィクトリアマイルを制し、JpnI(GI)初勝利を挙げた。また4月15日の皐月賞でも15番人気のサンツェッペリンをハナ差の2着に持ってきており、ともに大波乱を演出する。 地方競馬での騎乗にも積極的で、2008年11月3日、公営園田競馬場で開催されたJBCスプリントをバンブーエールで制覇し、交流Jpn競走初勝利を挙げた。 翌2009年5月3日の天皇賞・春では、前走の日経賞でアルナスラインの2着にもってきたマイネルキッツに引き続き騎乗し、12番人気という低評価を覆し、前走敗れたアルナスラインに競り勝った。 2009年9月30日には、大井競馬場で行われた第43回東京盃でふたたびバンブーエールで勝利した。 2010年12月4日、中山12Rでヒットジャポットに騎乗し1着となり自身初となるJRA年間100勝を達成した。 2011年からは落馬負傷による戦線離脱が相次いでいる。8月28日に左腓骨、11月19日には右鎖骨を骨折。明け2012年には1月5日に京都金杯をマイネルラクリマで制覇し1年ぶりの重賞勝ちとなった直後の京都競馬第12競走で競走中に落馬。検査の結果左足関節内果骨折、左手関節捻挫と診断された。 地方競馬場では、とくに南関東公営競馬では交流競走以外に条件競走・特別競走・地元重賞を問わず、地元馬にも多く騎乗している〔内田博幸や岩田康誠のように古巣で地元馬に騎乗する例はあるが、JRAデビューの騎手で地元の条件競走にまで騎乗することはめずらしい。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松岡正海」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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