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松岡 直也(まつおか なおや、1937年5月9日 - 2014年4月29日)は、神奈川県横浜市中区本牧生まれの日本のジャズ・ピアニスト、ラテンフュージョンミュージシャン、作曲家、編曲家である。 == 経歴 == 生家は本牧・小港のチャブ屋街にあった「東亜ホテル」。7歳の頃から独学でピアノを弾き始める。 15歳の時、「パン猪狩とマーキス・トリオ」のピアニストとしてプロデビュ-。翌年には自身のバンド「松岡直也カルテット」を率いてライブを中心に活動を開始する。また、「浜口庫之助とアフロ・クバーノ・ジュニア」にピアニスト、アレンジャーとして参加し、ヒット曲「黄色いサクランボ」を編曲する。 この頃からラテン音楽の虜になり、「キューバン・スペシオーサ」、「松岡直也ピアノ・トリオ」、「ラテン・スペシオーサ」、「松岡直也ラテン・ピアノ・トリオ」、「松岡直也ハバナ・ビーツ」(後に「松岡直也ハバナ・ビーツ・オーケストラ」に改名)などのラテンバンドで活躍する。 1961年には「アーティストリー・サウンド」を結成し、ショーの音楽プロデュースと編曲を手掛けるようになる。その後、いずみたくが主宰する「オール・スタッフ」に所属。映画・テレビ・CM音楽等の作・編曲を手掛ける傍ら、スタジオ・ミュージシャンとして活動を始める。 1972年にはテレビドラマの主題歌として使われた「太陽がくれた季節」(歌・青い三角定規)を編曲し、青い三角定規はこの曲で第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞。いしだあゆみ「小さな愛の歴史」作曲(古賀賞/日本作曲家大賞受賞)。更に「松岡直也オールスターズ」を結成しライブ活動を再開する。 1977年、初のリーダーアルバム『JOYFUL FEET』を発表。1979年にはホーン・セクションを加えた大規模編成による「松岡直也&ウィシング」を結成。また「ラテン・ジャズ・アンサンブル」の日本公演にピアニストとして参加した。 1981年には神戸市で開催された「ポートピア'81」のダイエー館(オムニマックス・シアター)の音楽を担当。そこでの使用楽曲は同年のアルバム『THE SHOW』に収録されている。また同じ1981年には、ロックプロジェクト・MASH(マッシュ)を立ち上げるものの、衣装の派手さや音量の大きさが仇となってしまい短命に終わる。 1982年、音楽活動30周年を記念したアルバム『九月の風』を発表。オリコンチャート第2位、半年間30位以内にチャートインするなど、インストゥルメンタル・ミュージック界において驚異的な記録を作った。またアルバム・タイトル曲が三菱・ミラージュのCMに使用されたこともあり、一気に松岡の名前が知れ渡るようになる。その後1 - 2年は三菱の各車種のCMに松岡の楽曲が使用されていた(中にはCMオリジナルでアルバムには収録されていない楽曲もある)。 しかし人気が高まるにつれ、大規模編成であるウィシングのライブ活動がままならなくなりやむなく解散。小規模編成による「松岡直也グループ」を結成。この中からは和田アキラ、高橋ゲタ夫、菅野真吾(現・カルロス菅野)、是方博邦、大橋勇(現・勇武)といった人気ミュージシャンを生み出している。 日本国外では1980年と1983年の2回にわたって、スイス「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に出演。特に1983年は大成功を収め、そこで演奏された楽曲は同年のアルバム『WELCOME』にも収録されている。 1985年にはその年にANN系列で放送を開始した『ニュースステーション』をはじめとするニュース番組のテーマ曲を作曲。また中森明菜に提供した「」の作・編曲を手掛け、同曲は第27回日本レコード大賞を受賞し、また松岡は日本作曲家大賞・優秀作曲家賞を受賞した。 翌1986年にはわたせせいぞう作で日本テレビ系列で放送された『ハートカクテル』の音楽を担当。楽曲は「ハートカクテルVol.1・Vol.2」として1986年11月と1987年2月に発売された。一方でプロレスラー・藤波辰巳(現・辰爾)の入退場テーマ曲を作曲するユニークな面も見せた(1987年1月に12インチ・シングルとして発売された)。 1990年にはNHK教育テレビで放送された『ベストサウンドIV』の講師を担当。1993年には再びホーン・セクションを交えた大規模編成によるバンド「松岡直也バンダ・グランデ」を結成、更に1997年にはTBS系列のドラマ『智子と知子』の劇中音楽を担当。2005年にはニューアルバム『Sincerely』を発表し、ライヴ活動も盛んに行うなど、70歳を過ぎても精力的に活動を続けていた。 2001年から病気を患っており、2014年3月末に体調が急変して入院した。4月29日午前10時22分、前立腺癌のため川崎市の病院で死去。76歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松岡直也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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