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松岡讓 : ミニ英和和英辞書
松岡讓[まつおか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground

松岡讓 ( リダイレクト:松岡譲 ) : ウィキペディア日本語版
松岡譲[まつおか ゆずる]

松岡 譲まつおか ゆずる 1891年9月28日 - 1969年7月22日)は日本小説家。旧名は松岡 善譲(ぜんじょう)。
== 概要 ==
新潟県古志郡石坂村大字鷺巣(現長岡市鷺巣町)出身。父親は真宗大谷派定正院の僧侶旧制長岡中学では、同級生に詩人フランス文学者となる堀口大學がいた。
本来なら父を継いで僧侶になるべき立場だったが、幼い頃から仏門の腐敗を目の当たりにして育ち、生家に強く反撥した。第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科に在学中、夏目漱石の門人となる。漱石の長女筆子の愛を巡って同門の久米正雄から嫉視される。筆子からの愛の告白に応じ、1918年、大学卒業の翌年に筆子と結婚。寺院を継ぐことを拒否し、かねて筆名として用いていた譲を戸籍名とした。
1922年、久米が小説『破船』でその経緯を描いたが、当時世間は久米に同情し、松岡を友情を破った男のように見なした〔そのため松岡は文壇で不遇をかこったと言われたが、今東光は「何もあの連中(久米たち)村八分にしたから小説家としてダメになったんじゃなく、最初から小説家としての才能がなかっただけの話」と『最後の極道辻説法』の中で評している。〕。松岡の子供が近所の子と遊んでいると、その子の母親が飛び出してきて「あんな悪人の子供と遊んじゃいけません!」と叱りつけたこともあった。
自伝小説『法城を護る人々』はベストセラーとなった。ほかに代表作に、20世紀初めの敦煌を舞台に「敦煌文書」発見をめぐる『敦煌物語』がある。
また漱石夫人夏目鏡子の談話をまとめた『漱石の思ひ出』も文庫などで広く読まれた。
筆子の一件以来、久米とは不倶戴天の間柄だったが、昭和初年に和解を果たしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松岡譲」の詳細全文を読む




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