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松島型防護巡洋艦(まつしまがたぼうごじゅんようかん)は、日清戦争及び日露戦争で活躍した旧日本海軍の巡洋艦。艦名から三景艦(さんけいかん)の愛称で知られる。 ==概要== 松島型防護巡洋艦は3隻建造され、それぞれ松島(まつしま)、厳島(いつくしま)、橋立(はしだて)と命名されたが、日本三景である陸奥松島、安芸厳島(宮島)、丹後天橋立から名を取ったことが三景艦と呼ばれた所以である。 本型は艦名の優雅さから日本国民に親しまれたが、親しまれた理由は他に2点が存在する。 本型が建造されたのは、大国清との衝突が避けられない時期であった。中でもドイツとイギリスの支援を受けて艦隊を整備した清国北洋艦隊の主力である砲塔装甲艦定遠級「鎮遠(ちんえん)」、「定遠(ていえん)」の2隻は、ドイツの最新技術を用いた最新鋭の装甲艦だった。これらの艦の主砲にはクルップ社が清国装甲艦のために製造した30.5cm砲を4門採用しており、これは東洋最大級の艦砲であった。対する日本には、同系列のクルップ砲4門でも威力に劣る24cm砲を搭載する旧式の装甲艦「扶桑」1隻しか存在せず、定遠級は日本艦隊にとって大いなる脅威であった。そこで、この清国戦艦2隻に対抗するため、フランスから招聘した造船技官エミール・ベルタンの設計により松島型防護巡洋艦が誕生した。主砲はたった1門ながら清国艦隊の主力艦を撃破可能なカネー社の「32cm(38口径)砲」を搭載し、砲弾の大きさでは鎮遠、定遠を上回った。 しかし、当時の日本の港湾施設はベルタンの提唱した装甲艦クラスを運用するには能力不足で、加えて予算的に大型艦を購入できず、そのために艦の大きさはフランスの提示した物よりも小型にせざるを得ず、巨砲を小型の船体に収めるために装甲も機関も貧弱な物となった。だが国力の乏しい日本としては一生懸命背伸びをした結果であり、それだけに日本海軍及び国民がかけた期待は大きかった。これが理由の2つ目である。 理由の3つ目は、日清戦争での海上主力対決となった黄海海戦において、本型を主力とした連合艦隊が北洋艦隊を破ったことである。三景艦主砲の32cm砲はほとんど役に立たなかったが、副砲である速射砲と、高速を出せる艦隊の運動性の高さを生かし、撃沈はできないまでも敵戦艦の攻撃能力をほぼ奪った。続いて威海衛攻撃で北洋艦隊を全滅させ、本型は国民の期待に応えることができた。 本型はその後、主力艦の座を富士型などの戦艦に譲った。日露戦争では、本型3隻に加え、日清戦争時に鹵獲されたかつてのライバル「鎮遠」を加えた4隻を中心に、第三艦隊第五戦隊を編成した。これらの艦は主として哨戒や掃海で活躍した。また日本海海戦にも参加、バルチック艦隊を捕捉・触接し、敵艦隊の編成や動向を逐一通報する任を担った。 余談だが、本型は本来4隻建造される予定であった。しかし、上記にあるように本型の搭載する砲の運用には問題があり、佐雙左仲造船官の猛烈な反対に遭い、3隻で建造は打ち切りとなった。この処置は、3番艦および4番艦を国内建造するため招いたベルタンを憤激させ、契約が残っているにもかかわらず彼は帰国することとなった。なお、4番艦の名称は不明だが、一説には、4番艦の代わりに建造された「秋津洲」の艦名がその名前と言われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松島型防護巡洋艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Matsushima-class cruiser 」があります。 スポンサード リンク
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