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松島 庄五郎(まつしま しょうごろう)は、長唄の名跡。3代目は唄方、三味線方両方で活躍。4代目は三味線方。4代目のみ松島庄五朗。 == 初代 == (生年不詳 - 明和元年(1764年?)) 江戸四谷の青物市場で呼び込みをしていたのを美声が見込まれて長唄の世界に入った。番付類には1726年の江戸市村座顔見世番付に見える。 初代吉住小三郎、坂田兵四郎と共に名人上手と称賛された。師匠は不明。 5代目杵屋勘五郎「杵屋系図」によれば鳥羽屋三右衛門唄門弟とあるが年齢的に無理で、松島流に伝わっているように松島四郎八門弟と思われる。1726年に森田座番付が名の初見。1747年に「長唄鼓唄」となる。『飛鳥川』(八十九翁著 1810年)に「松島庄五郎、坂田兵四郎と云う上手あり、庄五郎四谷せんざい場の呼込役とぞ、声すぐれてよき故、人の勧めにて唄うたいとなる。」とある。1727年より1733年まで中村座出勤。1734年冬に市村座「二人椀久」の「庄五郎 兵四郎掛け合の長唄にて(中略)大当たり」(『役者初子読』)。『武江年表 享保間記事』に「松島庄五郎、坂田兵四郎、小出金四郎等が小唄流行す」。『三升屋二三治戯場書留』に「松島庄五郎は世に長唄元祖名人と云う」とある。1763年11月に中村座「末広冬牡丹」を最後に名を見ず。明和1年死去と松島派に伝承あり。庄五郎が初演した伝承曲⇒長五郎髪梳。三勝道行。英獅子乱曲。枕丹前。今様四季三番三(晒三番叟)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松島庄五郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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