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松川 半山(まつかわ はんざん、文政元年〈1818年〉 - 明治15年〈1882年〉10月21日)とは、江戸時代後期から明治時代にかけての大坂の浮世絵師。 == 来歴 == 菅松峰の門人。本姓は奥氏、名は安信。通称は高二。字は義卿。翠栄堂、霞居、直水などと号す。大坂西横堀石屋橋畔に狂歌師の鬼粒亭力丸こと、松川為一(1774-1848年)の子として生まれた。12歳の時に菅松峰に絵を学び、師の画系である丹羽桃渓や岡田玉山らの画風を研究して一家を成した。風景画を得意とし、幕末のころ暁鐘成と提携して京阪名所図会など名所絵に筆を揮った他、『浪花新聞』や軍記物の挿絵を残している。 代表作として文久元年(1861年)刊行の暁鐘成著の地誌『淀川両岸一覧』、嘉永3年(1850年)刊行の雲和亭湖竜著の雑俳書『画口合瓢之瓢(えぐちあいふくべのつる)』三巻3冊などが挙げられる。他に天保15年(1844年)刊行の仏教書『阿弥陀経和訓図会』(山田野亭著)三巻3冊、嘉永2年(1849年)刊行の読本『左刀奇談』(手塚兎月作)五巻5冊、文久4年(1864年)刊行の『絵本豊臣琉球軍記』(宮田南北作)後編十冊、刊行年不明の『地口行燈』二編2冊、明治14年(1881年)から明治16年(1883年)刊行の小説『絵本石山軍記』(土屋正義作)三編十巻30冊の挿絵なども知られている。明治維新後は、文明開化した都市の繁栄や風俗をいち早く取り入れた書物や、文部省の教科書作成にも参画した。明治15年11月22日死去。享年65。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松川半山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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