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松平 乗全(まつだいら のりやす)は、幕末の大名、老中。三河西尾藩第4代藩主。大給松平家宗家9代。3代藩主松平乗寛の長男。母は阿部正倫の娘。弟に越後長岡藩に養子入りし、老中を務めた牧野忠恭がいる。同じく老中の阿部正弘は母方の従弟で、老中で日本赤十字社創設者の一人でもある松平乗謨(後の大給恒)は外孫にあたる。 幕府では寺社奉行、大坂城代を経て老中を務めた。同列の松平忠優(後の忠固)と歩調を合わせ、対外問題では開国・和親を、将軍継嗣問題では南紀派に与して紀州藩の徳川慶福(後の家茂)を推し、海防参与の水戸藩主徳川斉昭と対立したため、安政2年(1855年)、斉昭に譲歩した阿部正弘の命令で忠優と共に老中を免職され、閣外に放逐された。 しかしその後、正弘死後に幕政の実権を握った老中首座堀田正睦により、名誉回復の意味をこめて、帝鑑間席より溜詰格に栄転している。また、安政5年(1858年)には大老井伊直弼の推挙により老中に再任している。しかし直弼の暗殺(桜田門外の変)後は閣内での影が薄くなり、万延元年(1860年)に辞任、文久2年(1862年)に1万石減封の上で隠居を命じられ、末弟の乗秩が養子として家督を継いだ。幕府滅亡を経て乗秩の死後、末子の乗承が大給松平家の家督を継承している。 明治3年(1870年)に死去、享年76。墓所は愛知県西尾市の盛巌寺。 == 経歴 == * 寛政6年(1794年):生誕 * 天保10年(1839年):西尾藩襲封 * 天保14年(1843年):寺社奉行 * 天保15年(1844年):大坂城代 * 弘化2年(1845年):老中 * 安政2年(1855年):老中を免職させられる * 安政4年(1857年):帝鑑間席より溜詰格に栄転する * 安政5年(1858年):老中再任 * 安政6年(1859年):間部詮勝免職に伴い老中首座を担当 * 万延元年(1860年):老中辞任 * 文久2年(1862年):1万石減封のうえ、隠居を命じられる * 明治3年(1870年):死去。享年76 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平乗全」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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