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松平乗全 : ミニ英和和英辞書
松平乗全[まつだいら のりやす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [ぜん]
  1. (n,pref) all 2. whole 3. entire 4. complete 5. overall 6. pan 

松平乗全 : ウィキペディア日本語版
松平乗全[まつだいら のりやす]

松平 乗全(まつだいら のりやす)は、幕末の大名、老中三河西尾藩第4代藩主。大給松平家宗家9代。3代藩主松平乗寛の長男。母は阿部正倫の娘。弟に越後長岡藩に養子入りし、老中を務めた牧野忠恭がいる。同じく老中の阿部正弘は母方の従弟で、老中で日本赤十字社創設者の一人でもある松平乗謨(後の大給恒)は外孫にあたる。
幕府では寺社奉行大坂城代を経て老中を務めた。同列の松平忠優(後の忠固)と歩調を合わせ、対外問題では開国・和親を、将軍継嗣問題では南紀派に与して紀州藩徳川慶福(後の家茂)を推し、海防参与の水戸藩徳川斉昭と対立したため、安政2年(1855年)、斉昭に譲歩した阿部正弘の命令で忠優と共に老中を免職され、閣外に放逐された。
しかしその後、正弘死後に幕政の実権を握った老中首座堀田正睦により、名誉回復の意味をこめて、帝鑑間席より溜詰格に栄転している。また、安政5年(1858年)には大老井伊直弼の推挙により老中に再任している。しかし直弼の暗殺(桜田門外の変)後は閣内での影が薄くなり、万延元年(1860年)に辞任、文久2年(1862年)に1万石減封の上で隠居を命じられ、末弟の乗秩が養子として家督を継いだ。幕府滅亡を経て乗秩の死後、末子の乗承が大給松平家の家督を継承している。
明治3年(1870年)に死去、享年76。墓所は愛知県西尾市盛巌寺
== 経歴 ==

* 寛政6年(1794年):生誕
* 天保10年(1839年):西尾藩襲封
* 天保14年(1843年):寺社奉行
* 天保15年(1844年):大坂城代
* 弘化2年(1845年):老中
* 安政2年(1855年):老中を免職させられる
* 安政4年(1857年):帝鑑間席より溜詰格に栄転する
* 安政5年(1858年):老中再任
* 安政6年(1859年):間部詮勝免職に伴い老中首座を担当
* 万延元年(1860年):老中辞任
* 文久2年(1862年):1万石減封のうえ、隠居を命じられる
* 明治3年(1870年):死去。享年76






抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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