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松平 信将(まつだいら のぶまさ)は、出羽上山藩の第3代藩主。藤井松平家嫡流9代。 == 生涯 == 享保2年(1717年)、信濃上田藩主で藤井松平家支流・松平伊賀守忠昭の五男忠隆の子として上田で生まれる。享保17年8月9日(1732年)、藤井松平家の宗家に当たる上山藩2代藩主松平長恒の養嗣子になると、初名・直隆から信将に改名した。同年12月12日に長恒が隠居したため、家督を継いだ。12月28日に従五位下、安房守に叙位・任官される。 外桜田門番、大坂城加番など諸役を歴任したが、そのために藩財政が窮乏し、延享元年(1744年)や延享2年(1745年)の凶作で米価高騰が起こり、延享4年(1747年)5月には百姓一揆・打ちこわしが発生して百姓側の年貢減免要求などを受け入れることとなった。宝暦7年(1757年)には洪水による被害で、幕府より3000両を借用している。 宝暦11年(1761年)に5度目の大坂城加番に任じられて大坂に赴いたが、間もなく発病して大坂で死去した。享年45。跡を長男の信亨が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平信将」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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