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松平 信平(まつだいら のぶひら)は、江戸時代前期の旗本。鷹司松平家の祖。本姓は藤原氏で、五摂家の一つ鷹司家の出自。 == 生涯 == 寛永13年(1636年)、鷹司信房の四男として生まれる。信房により再興された鷹司家は摂家の一つで、公家社会では最高の家格であったが、庶子である信平には門跡寺院に入るか、他の公家の養子になるなどの選択肢しかなかった。しかし信平はいずれも選ばず、15歳になった慶安3年(1650年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光の御台所(正室)であった姉・孝子を頼って家臣1人だけを伴い江戸へと下った。家光と孝子の関係は決して良好といえるものではなかったが、信平は家光から歓迎され、1,000俵の廩米と月俸200人扶持を与えられ寄合入りした。 承応2年(1653年)、第4代将軍徳川家綱の配慮により家光の叔父である紀州藩主徳川頼宣の娘を娶り、翌承応3年(1654年)には従四位下左近衛少将に任じられ、紀州徳川家の縁者として松平の名字を称することを許された。この年に従来の俸禄に代わって4,000俵の廩米を授けられる。 明暦2年(1656年)、父の見舞いのために上洛する。延宝2年(1674年)、姉・孝子が病死する。家綱はこれを憐れんで、信平のそれまでの廩米に替えて上野国・上総国に合わせて7,000石の知行地を与えた。 元禄2年(1689年)7月28日、死去した。享年54。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平信平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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