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松平信礼 : ミニ英和和英辞書
松平信礼[まつだいらしんれい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
平信 : [へいしん]
 (n) peaceful news
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [れい]
 【名詞】 1. expression of gratitude 

松平信礼 : ウィキペディア日本語版
松平信礼[まつだいらしんれい]

松平 信礼(まつだいら のぶうや / のぶいや)は、三河吉田藩第2代藩主。松平伊豆守大河内松平家6代。
== 生涯 ==
元文2年(1737年)8月11日、初代藩主松平信復の次男(実質長男)として江戸で生まれる。寛保元年(1741年)11月1日に信礼と名乗る。父信復は正室を持たなかったため、長子である信礼が嫡男とされ、寛延4年(1751年)1月15日に初めて将軍家重に拝謁した。以後、父の吉田在城中は名代として公務を勤めた。宝暦元年(1751年)12月18日、従五位下甲斐守に叙任される。宝暦12年(1762年)6月27日、駿河田中藩主本多正珍の養女・芳姫を娶る。
明和5年(1768年)9月、国元にいた父信復の病状悪化の知らせを受け、看病のため初めて吉田へ向かった。この時、父の死を挟んで10日間在城したが、信礼にとってのお国入りはこれが最初で最後であった。11月16日に家督を相続し、翌17日に伊豆守と改名した。
明和6年(1769年)6月15日、藩主として初めての帰国を許されるが、眩暈により旅行が困難であることを理由に3度にわたって延期願を出し、そうこうするうちに10月11日に奏者番に任ぜられたことで帰国の件はなくなった。生来病弱であった信礼は、明和7年(1770年)1月の将軍紅葉山参詣の際に御鏡餅役は勤めたものの、5月下旬以降は病床に臥して全く登城できず、6月16日に死去した。享年34。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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