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松平 友著(まつだいら ともあき、延宝6年10月7日〔『四谷并大久保川田久保御家御系譜』(名古屋叢書三編巻一)によれば7月7日とされる〕(1678年11月20日) - 享保13年3月30日(1728年5月8日))は、川田久保松平家初代当主。尾張藩第2代藩主徳川光友の十一男。母は梅香院(鈴木氏または大橋氏)、幼名は大蔵、初名は友親。徳川宗勝の実父。官位は従四位下但馬守。 *元禄6年(1693年)、5千石を賜る *元禄7年(1694年)12月18日 従五位下但馬守に任官 *元禄11年(1698年)7月13日 見世姫誕生 *宝永2年(1705年)長男代五郎徳川宗勝誕生(母は側室圓珠院 湯本氏) 結婚前であり、幕府への届け出は宝永4年(1707年)6月2日付でおこなわれる *宝永3年(1706年)11月23日 川田窪に屋敷を拝領し川田久保松平家となる *宝永4年(1707年)7月28日 公家の正親町公通の息女生姫(貞亮院)と婚礼〔柳沢吉保の側室である正親町町子は正親町公通の実妹であり、友著にとって柳沢吉保は義叔母の夫〕 *正徳元年(1711年)8月 大名格として江戸城に出仕 *享保2年12月18日(1718年1月19日) 従四位下(四品) 将軍徳川吉宗はこの後に数度に渡り、松平通春(徳川宗春)と共に、諸行事の参列や鷹狩の獲物の下賜など、御連枝として特別扱いにする。 *享保13年(1728年)3月30日卒去 伝通院に葬られる 法名は隆興院殿。 跡を子の友淳が継いだ。後に友淳は高須松平家を継ぎ、義淳と名乗り、さらに後には本家を継いで徳川宗勝と名乗った。そのため川田久保松平家は2代で絶えることとなった。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平友著」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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