翻訳と辞書
Words near each other
・ 松平外記
・ 松平大膳家
・ 松平太郎
・ 松平太郎家
・ 松平太郎左衛門家
・ 松平女学校
・ 松平好房
・ 松平好景
・ 松平姓
・ 松平孝太郎
松平守家
・ 松平宗允
・ 松平宗弥
・ 松平宗昌
・ 松平宗武
・ 松平宗発
・ 松平宗矩
・ 松平宗秀
・ 松平宗紀
・ 松平宗胡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松平守家 : ミニ英和和英辞書
松平守家[まつだいら もりいえ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

松平守家 : ウィキペディア日本語版
松平守家[まつだいら もりいえ]
松平 守家(まつだいら もりいえ、生没年不明)は、戦国時代武将竹谷松平家の初代。岩津の宗家松平信光の長男。通称は左京亮。法名は全長、あるいは全祐。三河国宝飯郡竹谷(愛知県蒲郡市竹谷町)に分出し竹谷松平の祖となった。子に松平守親
== 事績 ==
竹谷の所領にいつ頃分出したか具体的には未詳。一説(「藩翰譜」など)に竹谷松平家第4代清善までの間は岡崎(岡崎市)に居住したともいうが、文亀元年8月16日(1501年9月28日)付けの「大樹寺連判警護状」に署名の松平諸家16人の中に竹谷弥七郎秀信の名が記されており、同年同月の大樹寺宛の松平道閲の寄進状に依れば、この時道閲が寄進した伊賀塚本(岡崎市伊賀町)の3反歩の田圃は30年余以前の文明年間に古(=故)左京亮殿が受けた所領にあたり、この年貢1石4斗の内8斗が竹谷弥七郎分として引き渡されている内容である。これにより、この竹谷弥七郎秀信が松平守家の子息の一人と推定され、守家の時既に竹谷の所領を有していたことが知れる。
また、没年月日について「藩翰譜」や「寛政重修諸家譜」は文亀3年8月7日(1501年8月28日)を挙げているが、上記の大樹寺宛松平道閲寄進状で文亀元年以前に守家の死去が判るので、誤りと考えられる。守家生存中のこの時期までには、松平氏庶家の一つとして宗家3代信光・同4代親忠を中心とする一族一揆が形成されていたと推定される〔松平氏の一族一揆(血族結合)は参考文献として挙げた著作における中村孝也・平野明夫両氏の所論による。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平守家」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.