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松平 宗矩(まつだいら むねのり)は、越前福井藩の第10代藩主〔一般には福井藩第3代と数える松平忠昌以降を別系統(別藩)と捉える学説・主張もあり、それに従えば第8代となる。〕。 == 経歴 == 正徳5年(1715年)3月26日、結城秀康の五男・播磨姫路藩主・松平直基の孫・陸奥白河新田藩主・松平知清(陸奥白河藩主・松平直矩の四男)の次男として生まれた。享保6年(1721年)12月11日、江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の指示により、福井藩第9代藩主・松平宗昌の養子となり、第8代藩主・松平吉邦の一人娘であった勝姫を正室とした。享保9年(1724年)、宗昌の死去により家督を継いで藩主となった。享保11年(1726年)12月11日に元服し、従四位下侍従に叙任、同時に、養父・宗昌と同様に、将軍・吉宗から偏諱(「宗」の字)を賜って兵部大輔宗矩(「矩」は祖父・直矩の1字)と名乗った。享保18年(1733年)12月18日には左近衛権少将に任じられた。 寛延2年(1749年)10月21日に江戸にて死去。享年35。延享4年(1747年)に養子縁組した一橋家徳川宗尹(吉宗の四男)の長男・於義丸(重昌)が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平宗矩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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