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松平 家次(まつだいら いえつぐ、? - 永禄6年7月29日(1563年8月17日))は、戦国時代の武将。桜井松平家当主。松平清定の嫡男。通称は監物丞。子に松平忠正、松平忠吉、菅沼定盈室(普厳院)。 天文14年(1545年)、広畔畷の戦いで、家次は父の清定、酒井忠尚、榊原長政らとともに広忠と戦うが敗れる。翌年には忠尚は許され、家次の居城・尾張品野城は忠尚の居城となり、品野城を明け渡す。天文22年(1553年)三河・下和田の領地を巡り、主君・今川義元に訴え、東条松平家の松平忠茂と争うが、弘治2年(1556年)家次の敗訴に終わる。松平元康(徳川家康)の命で品野城に攻めてきた織田軍を撃退し、功績をあげた。三河一向一揆が起きると一向衆側に味方した。 ※三河物語の記述。漸シタル処に、永禄五年壬戌に、野寺之寺内に徒者の有ケルヲ、坂(酒)井雅楽助押コみて検断シケレバ、永禄六年癸亥正月に、各々門徒衆寄合て、土呂・鍼崎・野寺・佐々き(崎)に取籠リて、一騎(揆)ヲヲコシて御敵ト成。(中略)。其耳弄、桜井之松平監物(家次)殿モ荒河(義広)殿ト仰被レ合て、別心ヲ被レ成けり。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平家次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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