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松平康孝 : ミニ英和和英辞書
松平康孝[まつだいら やすたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 

松平康孝 : ウィキペディア日本語版
松平康孝[まつだいら やすたか]
松平 康孝(まつだいら やすたか、生年不詳 - 天文11年3月18日1542年4月3日))は、戦国時代武将松平宗家6代当主・松平信忠の子。松平清康の弟。通称は十郎三郎。鵜殿松平家、あるいは三木松平家初代として考察される人物。
== 生涯 ==
三河物語』に、松平信忠が「三男十郎三郎殿に見次の郷を譲せ給う」(28頁)とあり、また『三河国二葉松』の「三木村古城」および「浅井村古城」に「清康御弟君松平十郎三郎康孝」(下巻77頁および84頁)とあることから、宗家から分出して所領を持っていたと考えられる。
また『松平記』は松平広忠岡崎還住に際し、大久保新八が清康の弟「十郎三郎」に相談したと記し(103頁)『三家考』は康孝が兄・信孝と共に帰還後の広忠を後見したとしている(『徳川実紀』1巻23頁の記述はこれに拠ったものか)。
『三家考』は天文5年(1536年)2月、織田信秀が8,000余りの兵を率いて三河に侵入したと記す。『松平記』にこの戦いの記述があり「松平十郎三郎」の名が松平方の大将として現われる。『三家考』は「清康の舎弟 松平蔵人 同弟十郎三郎康孝」と明記して、この兄弟が800人の兵を率い「伊田の郷」に布陣して戦ったとしている。
『朝野旧聞裒藁』は『三河国古墳考』ほかを引いて天文11年3月18日卒としているが(1巻616頁以下)『御九族記』には天文15年(1546年)5月とする異説が記されている。
法名は礼翁善忠(『寛永諸家系図伝』1巻105頁『寛政譜』1巻22頁)もしくは礼翁禅忠(『御九族記』)。『三河国二葉松』は院号を「宝琳院」とし「浅井村源空院 在松平十郎三郎康孝墳」と記している(下記刊行本下巻119頁)。
:史料の巻数および頁数はすべて下記刊行本による。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平康孝」の詳細全文を読む




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