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松井 康義(まつい やすよし、明治4年(1871年)5月18日 - 大正4年(1915年)10月)は、明治期の武家華族。子爵。旧川越藩藩主・松井松平家14代当主。旧姓、松平(まつだいら)。 == 経歴 == 老中、寺社奉行、大目付、勘定奉行、南町奉行を歴任した松平康英の次男。幼名は栄松。 明治12年(1879年)3月15日に松平康載の養子となり、松井姓を名乗る。明治17年(1942年)に子爵を授けられる。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾大学部に進む。明治29年(1954年)従四位。華族会議の談話会会員となる。尚友会と談話会両会の対抗問題に巻き込まれ、貴族院子爵議員とならなかった。 明治35年(1902年)に埼玉県川越において、陸軍歩兵大尉・小川賢之助が670名を組織し、慶應義塾生徒隊春季機動演習を行った際に「慶應義塾自転車倶楽部」を組織し、幹事長となる。帝国陸軍では、ドイツで導入されていた自転車の軍事使用について研究中であったが、これを「慶應義塾自転車倶楽部」が聞きつけて演習に参加させてみたいと陸軍に申し出たところ、決諾を得て実現をみた。陸軍歩兵大尉・梅津元晴、歩兵曹長・古屋精造、歩兵曹長・江頭正治の3名が参加し予期以上の好成績を挙げ、松井は「自転車の歌」を作詞して部員に配布した〔『時事新報』明治35年8月8日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松井康義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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