|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 平 : [たいら, ひら] 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
松平 忠倶(まつだいら ただとも)は、遠江掛川藩の第2代藩主、後に信濃飯山藩の初代藩主。 寛永11年(1634年)、掛川藩主・松平忠重の長男として生まれる。寛永16年(1639年)に父が死去したため、家督を継いだ。そして直後に幕府から信濃飯山に移封を命じられた。正保3年(1646年)12月、従五位下・遠江守に叙位・任官する。 藩政においては野田喜左衛門を登用して千曲川の治水工事を行い、殖産興業や浪人の取締り強化、寺社政策、検地などを積極的に行って飯山藩の基礎を固めた。万治元年(1658年)から大坂加番に任じられ、その後も要職を歴任した。元禄8年(1695年)3月に4回目の大坂加番に任じられて任地に赴いたが病に倒れ、元禄9年(1696年)5月26日に大坂で病死した。享年63。 子の忠継は病弱だったため廃嫡し、忠継の長男である忠敏を後継者に指名していたが、その忠敏も早世したため、忠敏の弟・忠喬が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平忠倶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|