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松平 忠告(まつだいら ただつぐ)は、摂津尼崎藩の第3代藩主。尼崎藩桜井松平家6代。 == 生涯 == 寛保2年(1742年)(異説として寛保3年(1743年)5月26日)、第2代藩主・松平忠名の三男として生まれる。長兄は早世し、次兄の加藤明堯(後の近江水口藩主)は庶子で他家に養子に出されたため、世子に指名され、明和3年(1766年)12月の父の死去により、明和4年(1767年)2月20日に家督を継いだ。 明和6年(1769年)、幕命により領地替えが行なわれたが、このときに藩財政の大きな利権となっていた地域を幕府によって奪われ、代わって利権の少ない地域を与えられたために藩財政の悪化が始まった。また、江戸城桜田門番に任じられたことも少なからず負担となった。 このため、忠告は俳諧の道に進み、談林派七世谷素外に師事して俳名を亀文、または一桜井と号した。寛政11年(1799年)には大坂天満宮に談林派の祖西山宗因の句碑を建設している。また、「一桜井発句集」という句集を残している(この句集は子の忠宝によって文政5年(1822年)に完成する)。 文化2年(1805年)12月10日に死去した。享年64。跡を次男の忠宝が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平忠告」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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