翻訳と辞書
Words near each other
・ 松平忠利 (久松松平家)
・ 松平忠刻
・ 松平忠刻 (島原藩主)
・ 松平忠刻 (桑名藩主)
・ 松平忠功
・ 松平忠勝
・ 松平忠厚
・ 松平忠吉
・ 松平忠吉 (桜井松平家)
・ 松平忠名
松平忠告
・ 松平忠周
・ 松平忠和
・ 松平忠和 (上田藩嫡子)
・ 松平忠和 (島原藩主)
・ 松平忠和 (桑名藩主)
・ 松平忠啓
・ 松平忠喬
・ 松平忠固
・ 松平忠国


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松平忠告 : ミニ英和和英辞書
松平忠告[まつだいら ただつぐ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
忠告 : [ちゅうこく]
  1. (n,vs) advice 2. warning 

松平忠告 : ウィキペディア日本語版
松平忠告[まつだいら ただつぐ]

松平 忠告(まつだいら ただつぐ)は、摂津尼崎藩の第3代藩主。尼崎藩桜井松平家6代。
== 生涯 ==
寛保2年(1742年)(異説として寛保3年(1743年)5月26日)、第2代藩主・松平忠名の三男として生まれる。長兄は早世し、次兄の加藤明堯(後の近江水口藩主)は庶子で他家に養子に出されたため、世子に指名され、明和3年(1766年)12月の父の死去により、明和4年(1767年)2月20日に家督を継いだ。
明和6年(1769年)、幕命により領地替えが行なわれたが、このときに藩財政の大きな利権となっていた地域を幕府によって奪われ、代わって利権の少ない地域を与えられたために藩財政の悪化が始まった。また、江戸城桜田門番に任じられたことも少なからず負担となった。
このため、忠告は俳諧の道に進み、談林派七世谷素外に師事して俳名を亀文、または一桜井と号した。寛政11年(1799年)には大坂天満宮に談林派の祖西山宗因の句碑を建設している。また、「一桜井発句集」という句集を残している(この句集は子の忠宝によって文政5年(1822年)に完成する)。
文化2年(1805年)12月10日に死去した。享年64。跡を次男の忠宝が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平忠告」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.