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松平忠学 : ミニ英和和英辞書
松平忠学[まつだいら たださと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 

松平忠学 : ウィキペディア日本語版
松平忠学[まつだいら たださと]

松平 忠学(まつだいら たださと)は、信濃上田藩の第5代藩主。
== 生涯 ==
天明8年(1788年)7月19日、上田藩主家分家で信濃更級郡5000石(塩崎知行所)の大身旗本である松平信濃守忠明の次男として生まれる。第4代藩主・松平忠済の長男・忠英の早世から御家騒動が起こったため、宗家の上田藩から忠済の養子として迎えられる。文化9年(1812年)5月6日、養父・忠済の隠居により家督を相続し、従五位下・伊賀守に叙位・任官する。
紅葉山火の番、桜田御門番などを歴任した。文化10年(1813年)に藩校明倫堂を創設して文武を奨励している。
忠学は忠済の四男・忠和を養子としたが、忠和は夭逝する。このため文政13年(1830年)4月20日、代わって養子とした忠優(後の忠固)に家督を譲って隠居し、内蔵頭に遷任する。天保10年(1839年)10月に剃髪して松翁と号した。
嘉永4年(1851年)7月10日に死去した。享年64。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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