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松平 忠寿(まつだいら ただひさ、明治15年(1882年)1月 - 昭和57年(1982年)7月7日)は明治時代から昭和時代の華族、海軍軍人。海兵31期を卒業〔『海軍兵学校沿革』〕。忍藩最後の藩主松平忠敬の長男〔『大衆人事録 東京篇』「松平忠寿」〕で奥平松平家14代当主。子爵、貴族院議員。尚友会倶楽部理事長。夫人は奥田義人の娘咲子〔鳥取県郷土人物文献データベース 2012年2月5日閲覧〕。藤光曜(真宗出雲路派管主)の妹都和子と再婚した。子に松平忠晃、柳原承光がいる。 日露戦争に海軍少尉として出征。「八島」、「日進」、「台中丸」乗組みとして従軍した〔『遠い潮騒』pp.67-68〕。艦政本部部員、横須賀軍需部第一課長、「榛名」副長などを務め、昭和3年(1928年)海軍大佐で予備役となる。昭和7年(1932年)貴族院子爵議員に互選され、研究会に属する。昭和10年、忍郷友会名誉会長となる。太平洋戦争(大東亜戦争)の戦災にあった目黒にある邸宅(300坪)を松平農園と命名して、70歳で東京農業大学聴講生になり野菜作りに精を出した。昭和57年、100歳で死去。 == 出典 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平忠寿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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