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松平忠易 : ミニ英和和英辞書
松平忠易[まつだいら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [えき]
 【名詞】 1. divination 2. fortune-telling

松平忠易 ( リダイレクト:松平忠周 ) : ウィキペディア日本語版
松平忠周[まつだいら ただちか]

松平 忠周(まつだいら ただちか)、または松平 忠徳(まつだいら ただのり)、は、江戸時代中期の大名。伊賀守流藤井松平家3代。はじめ丹波亀山藩の第3代藩主、のち武蔵岩槻藩主、但馬出石藩主、信濃上田藩の初代藩主。幕府では側用人京都所司代老中を歴任した。
== 生涯 ==
万治4年(1661年)4月19日、丹波亀山藩主で藤井松平家伊賀守流の初代・松平忠晴の庶出の三男として生まれる。
異母兄の第2代藩主・忠昭とは歳が離れていた上に、その聡明さを父から愛されたためか、兄の嗣子と定められた。天和3年(1683年)に忠昭が死去した際、兄の遺児・石松(のちの多四郎忠隆)を推す一派が存在したものの、亡父・忠晴の遺命通りに家督を継いだ。
上田藩に入封した後、農民に明細帳提出・年貢の籾納から米納への切り替えを求め、複数の村の庄屋を監督する村役人や大庄屋を設置し、農村統制を厳しく行った。
第5代将軍・綱吉に近侍し、側用人にまで出世するが、家宣が第6代将軍となると、側用人を免ぜられて幕政から遠ざけられる。その後、吉宗が8代将軍になると京都所司代を経て老中に起用された。
享保13年(1728年)5月1日、江戸で死去した。享年68。跡を三男の忠愛が継いだ。吉宗もその死を悼み、大久保佐渡守常春に銀300枚を持たせ、弔慰に遣わした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平忠周」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Matsudaira Tadachika 」があります。




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