翻訳と辞書
Words near each other
・ 松平忠衙
・ 松平忠衡
・ 松平忠誠
・ 松平忠誠 (武蔵国忍藩主)
・ 松平忠誠 (肥前国島原藩主)
・ 松平忠誨
・ 松平忠質
・ 松平忠輝
・ 松平忠輝 (旗本)
・ 松平忠郷
松平忠重
・ 松平忠長
・ 松平忠隆
・ 松平忠隆 (丹波亀山藩庶子)
・ 松平忠雄
・ 松平忠雅
・ 松平忠順
・ 松平忠頼
・ 松平忠馮
・ 松平恆雄


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松平忠重 : ミニ英和和英辞書
松平忠重[まつだいら ただしげ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

松平忠重 : ウィキペディア日本語版
松平忠重[まつだいら ただしげ]

松平 忠重(まつだいら ただしげ)は、上総佐貫藩主、駿河田中藩主を経て、遠江掛川藩の初代藩主。尼崎藩桜井松平家2代。
慶長6年(1601年)、遠江浜松藩主・松平忠頼の長男として生まれる。慶長14年(1609年)9月29日、父が従弟の水野忠胤江戸藩邸に招かれて茶会に参加していた際、同席していた久米左平次と服部半八郎の両名が囲碁の勝敗をめぐって口論、刃傷に及び、この争いを観た忠頼が仲裁に入ったが、逆上した左平次によって刺殺された。この経緯により、忠重は幼少のためもあって末期養子による家督相続は許されず、改易となった。
慶長15年(1610年)7月、武蔵深谷で8000石を与えられ、旗本となる。元和8年(1622年)10月、上総佐貫1万5000石の所領を与えられて大名として返り咲いた。寛永10年(1633年)、1万石加増の2万5000石で駿河田中に加増移封され、寛永11年(1634年)には5000石を加増されて3万石の藩主となる。
寛永12年(1635年)8月4日、1万石加増の4万石で遠江掛川藩主となる。寛永15年(1638年)6月9日、駿府城普請を務め、11月18日には奏者番に任じられたが、寛永16年(1639年)2月12日に死去した。享年39。
跡を長男の忠倶が継いだ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平忠重」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.