翻訳と辞書
Words near each other
・ 松平慶永
・ 松平憲良
・ 松平成重
・ 松平政忠
・ 松平敦之助
・ 松平斉光
・ 松平斉典
・ 松平斉厚
・ 松平斉善
・ 松平斉孝
松平斉宣
・ 松平斉恒
・ 松平斉承
・ 松平斉斎
・ 松平斉民
・ 松平斉省
・ 松平斉良
・ 松平斉貴
・ 松平斉韶
・ 松平斐章


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松平斉宣 : ミニ英和和英辞書
松平斉宣[まつだいら なりこと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

松平斉宣 : ウィキペディア日本語版
松平斉宣[まつだいら なりこと]

松平 斉宣(まつだいら なりこと)は、播磨明石藩第8代藩主。直良越前松平家9代。
11代将軍・徳川家斉の二十六男で、12代将軍・徳川家慶の異母弟。家斉の末息子であり、甥にあたる13代将軍・徳川家定よりも年下である。同母兄に越前福井藩主となった松平斉善武蔵川越藩の嫡子である松平斉省がいる。
== 生涯 ==
天保11年(1840年)、播磨明石藩主・松平斉韶の養嗣子となり、家督を相続して藩主に就任した。斉韶の嫡子である直憲(のち慶憲)を退けての強引な藩主就任であった。慶憲の生母・季遠姫はこれを嘆いて憤死したとも自殺したともいう。将軍の子が藩主になったことで、藩の石高は6万石から8万石に加増された。しかし、斉宣はさらに10万石への加増を老中らに求めたといわれ、この要求によって8万石でありながら10万石格という複雑な事態が発生した。また、将軍の子であるが故に莫大な支出を要し、財政難にますます拍車がかかることとなった。
天保15年(1844年)、病気で重篤になり、嗣子がなかったために先代斉韶の嫡子・直憲が世嗣に立てられた。享年20。
※日付は旧暦
*1837年天保8年)3月9日、従四位上に叙位。侍従任官。兵部大輔兼任。 8月25日、左近衛権少将に転任し、兵部大輔兼任如元。
*1840年(天保11年)2月26日、家督相続し、明石藩主となる。 11月1日、石高10万石格となる。
※参考文献:児玉幸多監修・新田完三編「内閣文庫蔵・諸侯年表」東京堂出版 1989年再版

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平斉宣」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.