|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) ・ 平 : [たいら, ひら] 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular ・ 正方 : [せいほう] (n) square ・ 方 : [ほう] 1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way
松平 正方(まつだいら まさかた)は、江戸時代中期の旗本(寄合)。正朝系大河内松平家4代。石高は3500石。 == 生涯 == 享保4年(1719年)9月25日に上総大多喜藩主・松平正久の七男として生まれる。享保15年(1730年)11月17日に松平正億の末期養子となり、12月27日に家督を相続する。享保16年(1731年)6月13日に初めて将軍吉宗に拝謁し、大蔵と改名する。享保20年(1735年)1月13日から元文2年(1737年)8月23日まで牛込口門番を勤める。寛保元年(1741年)11月2日、中奥小姓となる。延享元年(1744年)10月7日、従五位下飛騨守に叙任される。宝暦5年(1755年)8月28日、新番頭となる。跡継ぎがいなかったため、宝暦7年(1757年)4月9日に実兄松平正武の次男亀次郎(方政)を婿養子とする。宝暦10年(1760年)11月9日、小姓組番頭となる。明和2年(1765年)8月22日、市正と改名する(酒井飛騨守忠香が西丸若年寄に就任したため)。11月15日に書院番頭となる。明和4年(1767年)8月、大病を患っていた嫡子方政を廃嫡する。明和5年(1768年)6月6日に死去。享年50(公的には55)。家督は嫡孫の友吉(松平正愛)が相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平正方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|