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松平 武元(まつだいら たけちか、正徳3年12月18日(1714年2月2日) - 安永8年7月25日(1779年9月5日))は、上野館林藩および陸奥棚倉藩の藩主。親藩ながら江戸幕府の寺社奉行、老中を務めた。越智松平家3代。 常陸府中藩主松平頼明の次男。正室は桑名藩主松平忠雅の娘。子は武寛(四男)、戸田氏教(五男、大垣藩養子でのち老中)、娘(松平忠泰正室)、娘(戸田光和正室のち松平乗完継室)、娘(安藤信成正室)、娘(松平忠済正室)、娘(森忠興正室)、娘(久世広誉正室)、娘(溝口直信正室)らがいる。官位は従四位下、侍従、右近衛将監。 == 生涯 == 享保13年(1728年)、上野館林藩主松平武雅の養嗣子となり家督相続、その直後に陸奥棚倉に移封された。稲葉迂齋(稲葉正義、稲葉正誼とも)に師事する。延享3年(1746年)に西丸老中に就任し、上野館林に再封される。延享4年(1747年)に老中、明和元年(1764年)に老中首座に就いた。徳川吉宗、家重、家治の3代の将軍に仕え、家治からは「西丸下の爺」と呼ばれ信頼された。老中在任時後半期は田沼意次と協力関係にあった。老中首座は安永8年(1779年)死去までの15年間務めた。 武元死後は、四男の武寛が家督を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平武元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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