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松平 直周(まつだいら なおちか)は、江戸時代後期の大名。播磨明石藩第6代藩主。直良系越前松平家7代。 == 生涯 == 安永2年(1773年)、明石藩4代藩主松平直泰の三男として江戸藩邸にて誕生する。天明6年(1786年)兄・直之の危篤により4月14日に世嗣となる。翌日、兄が死去。6月7日に家督を継ぐ。寛政元年(1789年)初めて将軍徳川家斉に拝謁する。従五位下を叙任、左兵衛佐と名乗る。寛政3年(1791年)新発田藩主溝口直侯の妹・春姫と婚姻。寛政8年(1796年)幕府より濃尾三川の改修工事を命じられる。財政窮乏の中での工事のため領内の商人より借財を行う。寛政9年(1797年)従四位下に昇進、左兵衛督に改称。寛政10年(1798年)正室・春姫が死去。浅草の幡随院に葬る。寛政11年(1799年)干魃のため1万石の大減収となる。このため領内の商人などから寄付を募り、翌寛政12年(1800年)に寛政池を造築する。享和3年(1804年)父・直泰が卒中のため明石城二の丸にて死去。文化13年(1816年)隠居を申し出、家督を次男の斉韶に譲る。翌年、江戸高輪の別邸に移る。文政4年(1821年)大蔵大輔と改称。文政11年(1828年)死去、享年56。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平直周」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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