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松平 直泰(まつだいら なおひろ)は、江戸時代中期から後期の大名。播磨明石藩第4代藩主。直良系越前松平家5代。 == 生涯 == 寛延元年(1748年)、明石藩3代藩主松平直純の長男として江戸藩邸にて誕生する。宝暦8年(1758年)に元服し、直純より直泰の名を賜る。宝暦12年(1762年)、初めて将軍徳川家治に拝謁。元文13年(1763年)に従五位下を叙任し、内膳正と名乗る。 明和元年(1764年)、父・直純が病没したため家督を継ぐ。明和2年(1765年)、内膳正より丹後守と改称。明和7年(1770年)、二本松藩主丹羽高庸の娘・勢姫(のち利恵姫と改称)と婚姻。翌明和8年(1771年)正室・利恵姫が病没し、浅草の幡随院に葬る。安永2年(1773年)従四位下に昇進。但馬守、左兵衛佐と改称。安永7年(1778年)利恵姫の妹・喜姫を継室としたが、天明2年(1782年)には離婚している。天明4年(1784年)、家督を長男の直之に譲り隠居。若狭守と称す。享和3年(1804年)卒中のため明石城二の丸にて死去。享年56。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平直泰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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