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松平 直純(まつだいら なおすみ)は、江戸時代中期の大名。播磨明石藩第3代藩主。直良系越前松平家4代。 == 生涯 == 享保12年(1727年)、明石藩2代藩主松平直常の長男として明石城にて誕生する。母は側室で松田友成の養女・幾代子。直常より處次郎の名を与えられる。元文2年(1737年)元服。直常より直純の名を賜る。この年、生母の幾代子が死去。翌、元文3年(1738年)初めて将軍徳川吉宗に拝謁。元文5年(1740年)左兵衛を名乗る。従五位下を叙任し、左兵衛佐と改称する。 寛保3年(1743年)、直常の隠居に伴い家督を相続する。藩財政窮乏のため半知借り上げ、上米を実施。延享2年(1745年)牧野貞通の娘・千姫と婚姻。寛延元年(1748年)朝鮮通信使が来日し幕府より接待を命じられる。この年、千姫との間に長男・處次郎が誕生する。従四位下に昇進する。寛延3年(1750年)財政窮乏対策として銀札を発行。宝暦2年(1752年)左兵衛督と改称。宝暦12年(1762年)再び朝鮮通信使の接待を行う。明和元年(1764年)3月20日(公式な没日は3月22日)に病没、享年38。長男の直泰が家督を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平直純」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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