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松平 直致(まつだいら なおむね、嘉永2年8月4日(1849年9月20日) - 明治17年(1884年)6月28日)は、明治時代初期の知藩事。播磨国明石藩第10代(最後)の藩主。直良系越前松平家11代。 正室は岸和田藩12代藩主岡部長寛の娘・鎮姫。官位官職は従四位上のち従四位、侍従、左兵衛督。 == 生涯 == 嘉永2年(1849年)、明石藩9代藩主松平慶憲の長男として江戸藩邸にて誕生する。母は側室の古満子(小林氏)。幼名は薫次郎。文久元年(1861年)元服し、父・慶憲より直致と名付けられる。慶応3年(1867年)江戸城に初登城するが、将軍徳川慶喜不在のため、老中・稲葉正邦と面会する。明治元年(1868年)太政官より従四位上、侍従を叙任、左兵衛督に任官。この年、自邸の一部を開放し藩校・敬義館を興す。慶應義塾に学び〔『慶應義塾入社帳 第1巻』456項。〕、明治2年(1869年)慶憲の隠居に伴い家督を相続する。版籍奉還により知藩事となる。この年、鎮姫と婚姻する。 明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県により明石県が置かれ、知藩事職を免官となる。東京へ移住する。その後、11月2日(12月13日)に明石県は姫路県に併合され、1週間後に姫路県は飾磨県と改称された。明治17年(1884年)に病没し、弟の直徳が家督を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平直致」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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