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松平 義方(まつだいら よしかた、貞享3年10月9日(1686年11月24日) - 享保6年3月16日(1721年4月12日)〔『名古屋叢書三編』第一巻 尾張徳川家系譜〕)は、陸奥国梁川藩の第2代藩主。初代藩主松平義昌の次男。養母は丹羽光重の娘。実母は副田氏。正室は浅野綱長の娘・於三。子は松平義真(長男)、近姫(徳川宗春養女、上杉宗房正室)。官位は従五位下右近将監、右近大夫、従四位下出雲守、侍従、左近衛権少将。 幼名は久太郎。求馬。初名義賢。貞享4年(1687年)12月9日誕生お披露目。尾張藩主徳川光友と御簾中千代姫に初対面する。元禄元年(1688年)11月15日御髪置。同3年(1690年)1月25日御着袴。同4年(1691年)10月14日疱瘡を患う。同6年(1693年)4月15日、求馬義賢と改名する。同年7月1日、5代将軍徳川綱吉に初御目見する。同13年(1700年)12月12日前髮執。同月21日、従五位下侍従右近大夫に叙任される。同14年(1701年)2月16日右近将監に転任する〔『徳川実紀』〕。 宝永4年(1707年)4月21日に浅野綱長の娘・於三と婚礼、4月28日に婚姻御礼に登城する。正徳3年(1713年)7月6日、父の死去で家督を継ぐ。同年12月3日、出雲守に転任する。同4年12月18日に従四位下左近衛権少将に昇叙・出雲守はそのまま。義方と改名する〔。藩財政の窮乏から、父の代以上に年貢率を引き上げ、新税を設置して重税を強いるなど、農民からの収奪を強化した〔工藤寛正 編『徳川・松平一族の事典』東京堂出版、2009年〕。享保6年(1721年)3月16日に36歳で死去し、跡を長男の義真が継いだ。墓所は東京都の傅通院。院号は晴寥院殿〔。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平義方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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