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松平義春 : ミニ英和和英辞書
松平義春[まつだいら よしはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

松平義春 : ウィキペディア日本語版
松平義春[まつだいら よしはる]
松平 義春(まつだいら よしはる、生没年不詳)は戦国時代前期(15世紀末-16世紀前半)の武将。三河松平氏宗家5代松平長親(長忠・出雲守・道閲)の子で東条松平家の祖。右京亮、甚太郎(甚九郎とも)。
初め通称を甚太郎と称したとされるが同時代文書では未確認。江戸時代大久保忠教著『三河物語』では甚太郎と表記されている。また、「松平右京亮義春」名では後世に記されたいくつかの史書・記録に見られるが、判物等の同時代文書では殆ど例を見ない。
== 事績 ==

=== 東条吉良家の跡目・後見について ===
義春は東条松平家の初祖とされるが、三河国幡豆郡吉良庄斑馬(現在の西尾市吉良町駮馬)の東条城の5代目当主吉良義藤が同族の西条吉良義真応仁の乱のおり合戦に及び敗北、出奔したが義藤の嫡男吉良持清が幼少であったのでその跡目を継いだ、あるいは持清の後見人となったことから東条の名を冠したとされる。しかし、その事実を伝える確かな資料には乏しくまた長兄の松平信忠延徳2年(1490年)誕生とされるため応仁文明の戦乱期(1467年-1477年)と思われる義春の東条吉良家跡目・後見の両説は疑問であり伝承としての性格が強い〔参考文献の1、『家康の族葉』において著者の中村孝也は義藤の跡を受けて吉良東条家の第6代を義春が継いだとするが、参考文献の2、『新版 吉良上野介』の著者鈴木悦道(鈴木氏はまた、東条吉良氏菩提寺である花岳寺 (愛知県)の現住職である)は、同書 81 - 82頁にて、義春は持清の後見であったという伝承を松平家忠(東条)の代に言ったものだとしている。〕。
義春名義の文書は大永3年(1523年9月19日付で出した当時三河国幡豆郡に属した羽角村(現・西尾市内)の羽角馬頭天王社宛の寄進状がある。(同郡六栗村花籠(現・額田郡幸田町)よりの永楽銭20貫文を進納)。岡崎市の中島から羽角・野馬・六栗を縦貫する道、中島道は中世以来の道とされ、この地域はかつて幡豆郡に属し東条吉良氏の支配地域であったとされる。このことから義春は東条吉良領内にその所領もしくは知行を有していたと推定される〔参考文献の3、『日本歴史地名大系 23 - 愛知県の地名 』、716頁・「下六栗村」の項(同書記述の元出典は「幡豆神社誌」)。〕。
一般的には同国碧海郡の青野城に在住したとされるがこちらも資料に乏しく、近隣の下和田の所領係争において、今川義元が義春の嫡子・松平忠茂に宛てた弘治2年(1556年9月2日付文書で父右京亮の代からの所領として安堵がなされたことが知られる(訴訟の相手、桜井の松平家次(監物)の敗訴〔参考文献の4、『三河松平一族』、192 - 193頁〕)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平義春」の詳細全文を読む




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