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松平 胖(まつだいら ゆたか、1879年(明治12年)12月12日 - 1945年(昭和20年)12月10日〔『平成新修旧華族家系大成』〕)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。正五位勳三等功五級〔『日本海軍士官総覧』113頁〕。 == 経歴 == 讃岐高松藩第11代藩主(後に伯爵)松平頼聰の十男。生母は彦根藩主で大老井伊直弼の娘千代子。貴族院議長、伯爵松平頼寿は同母兄。妻は肥前佐賀藩主鍋島直大の娘俊子。長男頼明は子供のなかった兄頼寿の養子となり、伯爵位を継いだ。長女誠子(佳子)は伯爵廣橋眞光の養妹となり、李王家の一族である李鍵公妃となった。 海軍兵学校30期を卒業し、1902年(明治35年)少尉任官。日本海海戦に第一駆逐隊所属の「春雨」乗組みとして参戦〔『戦袍余薫懐旧録』〕し、第一次世界大戦にも出征した〔『大衆人事録 東京篇』「松平胖」〕。予備役後の1926年(大正15年)から少年審判所に勤務し、また鉱業会社の役員を務める。 ;親族〔『大衆人事録 東京篇』「李鍵公」〕 *父 - 松平頼聰(高松藩藩主) *母 - 千代子(井伊直弼の娘) *妻 - 俊子(鍋島直大の娘) *長男 - 頼明(兄松平頼寿の養子、伯爵)、早大卒業後陸軍科学研究所勤務、戦後、本郷学園理事・本郷高等学校第4代校長・松平公益会会長〔『松平頼明伝』(松平公益会)〕。 *次男 - 守弘 *長女 - 誠子(廣橋真光の養妹として李鍵公に嫁ぐ) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平胖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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