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松平親忠 : ミニ英和和英辞書
松平親忠[まつだいらちかただ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

松平親忠 : ウィキペディア日本語版
松平親忠[まつだいらちかただ]

松平 親忠(まつだいら ちかただ)は、松平氏の第4代当主。第3代当主・松平信光の三男。
== 生涯 ==

初め額田郡鴨田郷(現岡崎市鴨田町)を根拠地としていたが、長享2年(1488年)か長享3年(1489年)頃に、父が死去したために家督を継ぎ、安祥城主となった〔「松平八代」 三河武士のやかた家康館〕。しかし、間もなく出家して西忠と号した。親忠自身の治績はあまり知られておらず、三男なのに本当に家督を継いだのかどうか、一部では疑問視されている。
三河物語』では、父の信光は長男(名は記載なし)に惣領を譲ったとあり、親忠は分家的な存在に過ぎなかったとされている。だが後に安祥松平氏から清康家康ら松平氏を代表する人物が現れたため、親忠が第4代当主扱いされたと言われている。
なお、松平氏菩提寺の大樹寺は、文明7年(1475年)に親忠が創建したとされている。
明応2年(1493年)の井田野の戦いで中条氏らを破り、武名を挙げた。明応5年(1496年)に松平長親に家督を譲り、隠居。
文亀元年(1501年)8月10日に71歳(または63歳)で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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