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松平 重治(まつだいら しげはる)は、上総佐貫藩の第2代藩主。 == 生涯 == 寛永19年(1642年)、高家の品川高如の次男として生まれる。初代藩主・松平勝隆の養子となっていた松平勝広が廃嫡されたため、代わって慶安5年(1652年)6月に勝隆の養子となる。明暦3年(1657年)12月、従五位下・宮内少輔に叙位・任官する。寛文2年(1662年)9月に養父の隠居に伴い家督を継ぎ、出雲守に遷任する。 寛文5年(1665年)12月、山城守に遷任する。寛文6年(1666年)12月には、勝広の長男・勝制に新田500石を分与する。寛文7年(1667年)に大坂加番、寛文10年(1670年)4月に奏者番、延宝6年(1678年)3月には寺社奉行に任じられた。天和元年(1681年)11月、修理亮に遷任する。 貞享元年(1684年)11月10日、追放されていた羽黒山の山伏・良覚の面倒を見るなど、みだりに身分の低い者と交わって綱紀を乱したとして改易され、身柄は陸奥会津藩主・保科正容に預けられた。重治は300俵高となり、佐貫城は破却された。貞享2年(1685年)2月、身柄を江戸から会津に移送されたが、直後に病に倒れて8月2日に死去した。享年44。 死後、嫡男の勝秀は許され、500石の旗本として存続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平重治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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