翻訳と辞書
Words near each other
・ 松平長矩
・ 松平長親
・ 松平長頼
・ 松平隆政
・ 松平頼かた
・ 松平頼久
・ 松平頼之
・ 松平頼亮
・ 松平頼位
・ 松平頼侯
松平頼儀
・ 松平頼元
・ 松平頼則
・ 松平頼前
・ 松平頼升
・ 松平頼和
・ 松平頼啓
・ 松平頼多
・ 松平頼央
・ 松平頼如


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松平頼儀 : ミニ英和和英辞書
松平頼儀[まつだいら よりのり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [ぎ]
 【名詞】 1. rule 2. ceremony 3. affair 4. case 5. matter 

松平頼儀 : ウィキペディア日本語版
松平頼儀[まつだいら よりのり]
松平 頼儀(まつだいら よりのり、安永4年11月12日1775年12月4日) - 文政12年8月25日1829年9月22日))は、江戸時代後期の大名讃岐国高松藩の第8代藩主。官位従四位左近衛権中将、讃岐守。
第6代藩主松平頼真の長男。母は側室・即就院(中山氏)。正室は前田重教の娘・藤(前田治脩の養女)。継室は池田治政の娘・晴。子に松平頼該(長男)、松平頼胤(次男)、松平頼顕(三男)、本多忠民(四男)、倫(松平頼恕正室)、粲(井伊直亮正室)、娘(板倉勝明正室)らがいる。
== 生涯 ==
寛政4年(1792年)、叔父の第7代藩主頼起の跡を継いだ。当初は緊縮財政を行っていたが、次第に奢侈に傾き、藩札の乱発により物価高騰と紙幣の価値低下(インフレーション)を起こした。また、殖産振興策にも失敗し、更に江戸屋敷が火災に遭ったり、屋島神社(讃岐東照宮)造営の建築費を支出するなどした結果、江戸・大坂の商人からの借財が50万両以上に達し、藩財政が破綻状態に陥った〔工藤寛正 編『徳川・松平一族の事典』東京堂出版、2009年〕。そのため、東浜の海岸一帯を埋め立てて問屋街を造ったり、「讃岐二白」と呼ばれる製塩と製糖の産業育成を行うなどした。就任中、16回の旱魃に遭う。文政4年(1821年)、婿養子の頼恕に藩主を譲り、隠居した。文政12年(1829年)死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平頼儀」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.