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松平頼徳 : ミニ英和和英辞書
松平頼徳[まつだいら よりのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

松平頼徳 : ウィキペディア日本語版
松平頼徳[まつだいら よりのり]
松平 頼徳(まつだいら よりのり、1831年5月14日(天保2年4月3日) - 1864年11月4日(元治元年10月5日))は、常陸宍戸藩の第9代藩主。第8代藩主・松平頼位の長男。大炊頭従五位下従三位水戸市回天神社祭神神名は宍戸支藩松平大炊頭賴徳命(回天神社)。
== 生涯 ==
1831年(天保2年4月3日)、父・松平頼位常陸宍戸藩・第8代藩主)と母・松平絲(実父は常陸水戸藩主・徳川宗翰の八男・松平保福。養父は松平頼善)との間に長男として生まれる。幼名・豊太郎。
1844年(弘化元年)、正室を迎える。正室の父は松平頼顕松平頼儀の三男)、義父は讃岐高松藩十代藩主・松平頼胤継室は小出充御(小出英発の娘)。側室に三田氏の娘。
1846年(弘化3年9月21日)、父の隠居により跡を継ぎ、同年12月、従五位下、大炊頭を賜わる。父と共に本家水戸藩徳川慶篤の補佐を務める。
1864年(元治元年8月4日)、幕府の命により水戸藩主の名代として水戸表の騒乱の平定に出発。しかし、水戸城の入城に失敗した上、頼徳にも天狗党に同情的な部分があったため、不本意ながら市川党と那珂湊ほかで交戦してしまい、幕府追討軍総括田沼意尊より責任を追及される。頼徳は田沼にその経緯の実情を訴え嘆願しようとしたが、その機会は与えられず、「賊魁」という汚名を着せられた。同年10月5日に頼徳は水戸藩の支族松平万次郎邸にて切腹させられた。享年34。家臣の多くも処刑され、父の頼位もこれに連座、官位を剥奪され、羽前新庄藩預りの身となった。常陸宍戸藩改易され、江戸藩邸も幕府没収となった。頼徳の墓所は茨城県常陸太田市の瑞龍山。辞世の句「思ひきや野田の案山子の竹の弓 引きも放たで朽ち果てんとは」
1868年(慶応4年2月)、新政府より宍戸藩の復旧を命ぜられ、父・頼位が再相続する。その後、1880年(明治13年)7月、家督を父・頼位から譲られた弟・頼安は1884年(明治17年)7月8日、子爵に叙された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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