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松平 頼恕 (まつだいら よりひろ)は、讃岐高松藩の第9代藩主。 == 生涯 == 常陸水戸藩第7代藩主徳川治紀の次男として生まれる。幼名は熊次郎、昶之助。初名は紀経〔『徳川諸家系譜 第2巻』p259〕。文化12年(1815年)に高松藩主松平頼儀の婿養子となり、頼恕に改名する。文政4年(1821年)、養父の隠居に伴い家督を相続する。在職は22年。家老木村通明(亘、黙老)を通じて、藩財政の節制や改革を行った。東讃出身の久米通賢を登用し、悪化していた藩の財政を立て直すため坂出の東大浜・西大浜で国内最大級の塩田を開発した。また砂糖作りの奨励も行い、取引を円滑化するため砂糖為替法を定めた。学問面では、水戸学の影響を受けて、『一代要記』の後を継ぐものとして『歴朝要紀』を編纂させ、朝廷に献じている。 天保13年(1842年)に45歳で没し、養嗣子で頼儀の実子の頼胤が跡を継いだ。同じく水戸藩から養子入りした2代頼常にならって、霊芝寺に儒式墓で葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平頼恕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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