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松平 頼明(まつだいら よりあき、元禄4年5月11日(1691年6月7日)- 享保18年9月6日(1733年10月13日))は、常陸府中藩の第3代藩主。松平頼福(徳川頼房の八男・松平頼泰の子)の長男。母は進藤氏。正室は右大臣・今出川公規の娘で、徳川綱條の養女となった益姫。側室に久野氏。林氏。子に頼永(長男)、武元(次男)、遠山友明(三男)、頼幸(四男)、亀井茲胤(五男)、娘(織田信右正室)、娘(松平信友正室)。幼名は源三郎。任官叙位前は掃部を称した。 宝永4年(1707年)12月、先代藩主の松平頼如が嗣子なくして死去したため、その養嗣子として翌年の閏正月5日に家督を継いだ。享保18年(1733年)9月6日、43歳で死去し、跡を長男の頼永が継いだ。 ==経歴== ※日付=旧暦 *1707年(宝永4年)12月、 常陸府中藩(茨城県石岡市)藩主松平頼如の世継ぎとなる。 *1708年(宝永5年)1月、家督相続し、常陸国府中藩主を継承する。12月18日、従四位下大膳大夫に叙任。 *1709年(宝永6年)12月18日、侍従兼任。 *1710年(宝永7年)12月18日、播磨守に遷任。侍従如元。 *1733年(享保18年)9月6日、卒去。法名は常安院梵誉海音宣徴。諡号は源定。墓所は茨城県常陸太田市の瑞龍山。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平頼明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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